例文・使い方一覧でみる「萱」の意味


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...日本の葺屋根の特異点は...   日本の萱葺屋根の特異点はの読み方
エドワード・シルヴェスター・モース Edward Sylvester Morse 石川欣一訳 「日本その日その日」

...野(かやの)さん...   萱野さんの読み方
太宰治 「二十世紀旗手」

...サクサクサクと落葉を踏んでサヤサヤと(かや)の葉を分け...   サクサクサクと落葉を踏んでサヤサヤと萱の葉を分けの読み方
橘外男 「逗子物語」

...山に野に、萩、桔梗、撫子、もう女郎花、苅、名もない草の花...   山に野に、萩、桔梗、撫子、もう女郎花、苅萱、名もない草の花の読み方
種田山頭火 「行乞記」

...堤(つつみ)の(かや)や葭(よし)は青々と茂(しげ)って...   堤の萱や葭は青々と茂っての読み方
徳冨健次郎 「みみずのたはこと」

...短歌少女子の小松が根ろに茸狩ると巖阪根阪踏みならすらし吾父ひとのことにかゝづらひて一たびは牢の内にもつながれけるが三とせになれどもことのうたがひははれず、その間心をいたましめしこといくそばくぞや、丑のとし十月のはじめかさねて召し出さるゝことゝなりければうれへあらたに來る思ありてたへがたくおぼゆるまゝによめりける(三十四年十月作)ちゝのみの父は行かすもこと分の司のにはへ父は行かすもわが父にことなあらせそ吾ために一人の母が泣かざらめやはちゝのみの父を咎めむ掟あらば失せもしなゝむ人知らぬとにかくのみにつれなきものか世の中にねぢけし人は父はあらなくにちゝのみの父を念へばいゆしゝのいためる心なぐさもらなく世の中はわりなきものかまがつみに逢ひてすべなき父をし念へば日月はもこゝだもふれどいや日けにうれへはまして忘らえぬかも吾心なぐさまなくに父もへばまうら悲しき秋の風ふくはゝそはの母の命がうらさびてうれたむ見れば心は泣かゆいつたりの子等が念ひは久方の天にとほりて人も知りこそ去年の秋のころ日ごとにうた一つ二つづゝよみてはかき付けて見むと思ひおこしけることありしがいく程もなくて止みたり、いま反古ども披きみるに自らには思ひ出のうれしきまゝ抜きいでぬ、よしなきことのすさびなりかし十月二十四日、あさの程よりくもる、舊暦九月の十三日なりとのぐもり天の日も見ず吾待ちしこよひの月夜照らずかもあらむ二十五日、夕ぐれに鴫網を張る押し照れる月夜さやけみ鳥網張る秋田の面に霧立ちわたる秋の田の穗の上霧合へりしかすがに月夜さやけみ鴫鳴きわたる夕されば鴫伏す田居に鳥網張り吾待つ月夜風吹くなゆめ秋の田に鳥網張り待ちこのよひの清き月夜に鴫とりかへる二十六日、鉈とりて竹を伐るむらどりの塒竹むら下照りてにほふ柿の木散りにけるかも二十七日、きぬ川のほとりを行くうぐひすのあかとき告げて來鳴きけむ川門の柳いまぞ散りしく二十八日秋の田に少女子据ゑて刈るなべに櫨とぬるでと色付きにけり二十九日、なにがしの寺の庭にある白膠木(ぬるで)の老木の實をむすびたるを見てくれなゐに染みしぬるでの鹽の實の鹽ふけり見ゆ霜のふれゝば((ぬるでの實は味辛し故に方言鹽の實といふ))三十日、雨ふる秋雨に濡らさく惜しみ柿の木に來居て鳴くかも小笠かし鳥うみ苧集(六)八月四日、雨、下づまにやどる草枕旅に行かむと思へるに雨はもいつか止まむ吾ため五日、あさの程くもり、五十日に及びて雨はれず苧だまきを栗のたれはな刺(いが)むすび日はへぬれども止まぬ雨かも午后にいたりて日を見るおぼゝしく降りける雨は青(うまくさ)の立秀(たちほ)の上にはれにけるかも八日、立秋久方の雨やまなくに秋立つとみそ萩の花さきにけるかも十二日、雨、この日下づまに在り、友なるもの、いたづける枕もとにさま/″\の話してあるほどに房州の那古にありける弟おもひもかけず來り合せたるにくさ/″\のことをききて烏賊釣に夜船漕ぐちふ安房の海はいまだ見ねども目にしみえくも十四日、きぬ川のほとりを行くの木は芽立つやがてに折らゆれどしげりはしげし花もふさ/\廿五日、ものへ行く、棚にたれたる糸瓜のふとしきをみて秋風は吹きもわたれかゆら/\に糸瓜の袋たれそめにけり青袋へちまたれたりしかすがにそのあを袋つぎ目しらずも夏引の手引の糸をくりたゝね袋にこめてたれし糸瓜か廿八日、芒の穗みえそむ秋風はいまか吹くらし小林に刈らでの芒穗にいでそめつ廿九日、筑波のふもとへ行く、落栗のいや珍らしきをよろこびてよめる楯名づく青垣よろふ、筑波嶺の裾曲の田居は、甘稻の十握にみのる、八十村の中の吉村は、投左のとほくしあれば、足毛には玉ちるまでに、汗あえて吾きてみれば、思はぬにみあへつしろと、めづらしき栗にもあるかも、小林の木ぬれになるは、青刺のまだしきものと、とりとみぬ秋のまだきに、こゝにたふべぬあし曳の山裾村に秋きぬと栗子柿子はかね付けにけり三十日、夕、きぬ川のほとりをかへるに幼子どものむれあそべるをみてよめる青鉾の葱を折り、袋なす水を滿て、うらべには穴をあけ、その穴ゆさばしる水を、おもしろといそばひすもよ、白栲のきぬの川べに、夕さりにつどへる子らが、いそばひすもよ三十一日、成田へ行かむと夜印旛沼のほとりを過ぐぬば玉の夜にしあれば伊丹庭の湖さやに見えねどはろ/″\に見ゆ竪長の横狹の湖ゆ見出せばおほに棚引き天の川見ゆいにはの湖水田稻村めぐれどもまさしに見えず夜のくらければ九月一日、滑川より雙生(ふたご)丘をのぞむ大船の取の稻田はろ/″\に見放くる丘の雙生しよしも雙生丘にのぼる、利根川の水その下をひたして行く形の瓢に似たるも面白ければくすの木の木垂るしげ丘(を)は秋風に吹かれの瓢ころぶすが如し秋風はいたくな吹きそ白波のい立ちくやさば瓢なからかむ秋風の吹けどもこけずひた土のそこひの杭につなぐひさごかなりひさご竪さに切りて伏せたれどその片ひさごありか知らなく二日、利根川のほとりに人をたづぬ、打ちわたす稻田おほかたは枯れはてたり、いかなればかと問へば雨ふりつゞきて水滿ちたゝへたれども落すすべを知らず、日久しくしてかくの如しといふ甘稻のみのりはならず枯れたるに水滿てるかも引くとはなしに久方の天くだしぬる雨ゆゑに稻田もわかずひたりけるかもまがなしく枯れし稻田をいつとかも刈りて收めむみのらぬものを日のごとも水は引けども秋風のよろぼひ稻に吹くが淋しさ三日、印旛沼のほとりを過ぐしすゐのや柏木村を行きみればもく採る舟かつらに泛けるは((モクは方言なり藻をいふ))味村のつらゝの小舟葦邊にか漕ぎかくりけむ見れども見えず四日、蕨氏に導れて杉山を攀のぼるとて睦岡の埴谷の山はいばらつら足深(あふか)にわけて越ゆる杉山とよみけるがいたくあやまりたり、このわたりの杉山ことごとくしたぐさ刈りそけて見るに涼しげなり睦岡の五百杉山はしたぐさの利鎌にふりて見るにさやけし五日、けふも杉山見に行く赤阪は鎌わたらず、小芒のおどろもゆらに、蛇ぞさわたる、蛇わたる山の赤阪、行きがてぬかも六日、八街原をかへりくるに波の音きこえければから籾をすり臼にひき、とゞろにきこゆるものは、とほ/″\し矢刺の浦の、波にしあるべし千葉の野を過ぐ千葉の野を越えてしくれば蜀黍の高穗の上に海あらはれぬもろこしの穗の上に見ゆる千葉の海こぎ出し船はあさりすらしも百枝垂る千葉の海に網おろし鰺かも捕らし船さはにうく九月十九日、正岡先生の訃いたる、この日栗ひらひなどしてありければ年のはに栗はひりひてさゝげむと思ひし心すべもすべなささゝぐべき栗のこゝだも掻きあつめ吾はせしかど人ぞいまさぬなにせむに今はひりはむ秋風に枝のみか栗ひたに落つれど二十日、根岸庵にいたるうつそみにありける時にとりきけむ菅の小蓑は久しくありけり二十三日、おくつきに詣でゝかくの如樒の枝は手向くべくなりにし君は悲しきろかも笥にもりてたむくる水はなき人のうまらにきこす水にかもあらむ廿五日、初七日にあたりふたゝびおくつきにまうでぬ、寺のうら手より蜀黍のしげきがなかをかへるとて吾心はたも悲しもともずりの黍の秋風やむ時なしに秋風のいゆりなびかす蜀黍の止まず悲しも思ひしもへばもろこしの穗ぬれ吹き越す秋風の淋しき野邊にまたかへり見む秋風のわたる黍野を衣手のかへりし來れば淋しくもあるか十月九日、三七日にあたりぬ、はろかに思をはせてよみはべりけるまうですと吾行くみちにもえにける青菜はいまかつむべからしもいつしかも日はへにけるかまうで路のくまみにもえし菜はつむまでに投左のとほさかり居て思はずは青菜つむ野をまた行かむもの青雲の棚引くなべに目(ま)かげさし振放見ればみやこはとほし明治三十六年狂體十首萬葉集の尨大なる作者もさま/″\に、形體もさま/″\なるものから、仔細に視むことは容易のことに非ざれども、一言にして之を掩へば、句法の緊密にして音調の莊重なるはその特色なり、少くとも佳作と稱すべきものは大抵これなり、記、紀の歌は萬葉の素をなしたるものなれば相似たるは固よりなれども、その間自ら異りたるものありて存す、句法の如き萬葉の緊りたるに比すれば寛かに、音調の如き萬葉の重きに比すれば朗かなりといふの當れるを思ふ、而して共に措辭の巧妙にして曲折あるは規を一にす、之を譬ふるに萬葉の歌は壯夫の弓箭を手挾みて立てるが如く記、紀の歌は將帥の從容として坐せるが如けむ、神樂、催馬樂はこの二つのものに比するに、分量に於て、價値に於て、同日の談に非ざれども、遙に悠長にして、遙に卑近なる所、記、紀、萬葉の以外に長所の存するところにして亦一體なり、要するに萬葉の歌を眞面目なりとすれば、記、紀の歌は温顏なるが如く、神樂、催馬樂は即ちおどけたるが如し、神樂、催馬樂には折り返し疊み返したる句おほし、これ曲に合せて謳ふものなりといへばならむ、調子のゆるやかなる所以なり、その謳ふや必ず雅撲にして超世のおもひあるべしと信ずれども、寡聞にして未だこれを知らず、單に普通の歌として見るに過ぎざれども、亦研究に値すべきものなからず、五言七言の句以外に三言四言六言八言九言も自由なるべく、漢語俗語を用ゐるもよく調和すべきが如き、まゝ奇警なる語句を挾むところあるが如き、他の體に見るべからざるものなり、只そのこれをいふものなきは、注目するものゝ少きに因るならむ、狂體十首は普通の歌として視たる神樂、催馬樂の體を參酌して試みに作りたるものなり、研究の足らざるや、その體の完全なるものと雖も成ること難からむ、ましてこの體の果して發達生長せしむべきものなりや否や疑はしきものなれば失敗に歸したるは勿論のみ、されど予はその成るべきか、成らざるべきか自ら悟らざるまでは折々に作りて見むと思ふ、晦澁卑俗なるの故を以て斥けられざれば幸なり、その一田におり居の鴫、しぎつき人つき網もち、とほめぐりいや近めぐり、めぐれども羽叩もせず、鴫はをらずや、鴫は居れどかくれて居りと、おのれ見ゆらくを知らに、稻莖に嘴をさしいれ、さし入れてかくれて居りと、網でとられきや、その二おほ寺の榎がうれに、このみをばとりてはまむと、綱かけてのぼりけむや、梯かけてのぼりけむや、はしもかけずつなもかけずて、なにをしてかよぢけむぞ子や、おりこやと母が喚べど、このみはみおりてもこぬや、父がよばゞおりや、その三水つくや稻の朽田に、ひれふりてあそべる鮒を、筌おきてとらばよけむや、叉手さしてすくひてとらむ、しかれども叉手をさせば、田をこえてにげて行くや、畔放ちてたれかおきけむ、吾田の畔を、その四殖椚くにぎがしたに、芒刈るをとめ、なが刈らせこそ、春野の雉子、あすからはかくれて逢はむや、あはむやきゞす、その五葱つくりは灰こそよき、藁灰や粟がらの灰、黍稈の灰もこそよき、しかれども竹の灰は、まことぞも葱は枯らす、竹やくなゆめ、その六芋の子の子芋こそ、九つも十もよけれ、としごとに子もたるをみな、子はもたせこそ盥のそこを、一つうち二つうち、三つ四つや五つ六つうち、七つうたばとしの七とせ、へだてゝぞ子はもつらむや、八つうたば八とせや、その七葦邊には羽をあらふて、羽あらふてわたる棹雁、棹もちてここにおちこ、吾田のや刈束稻、馬に積み車に積み、そのあまりは朸にかけて、もて行かむに朸もがも、その棹もちこ、その八法林寺の佛の首は、雨もりておつればつぐ、鷺のくび木兔のくびも、かたみ換へ接がばつぎうるや、そのつぐは生麩(しやうふ)わらび粉、そくいひつのまたいせのりもあれどえつがずや、にべにかはこそ付けばとれぬもの、その膠は犢の牛の、寸涎のこりてなるちふ、まことしかなりやその九篠原やしぬをため、おしためて罠をつくり、しりからは籾はくはえず、さきから籾をくはむと蒿雀(あをじ)ひよどりや、ひたきも取れてあらむと、こはや足をはさまれて、はさまれて居る鼠や、をばやし小溝の鼠、みづ田くが田の鼠は、みしねくひ麥くふ、きやう鼠はつか鼠、いへるなる鼠は戸も柱もくひやぶれど、ひるは梁にかくる、大宮の老鼠、わなにもかゝらずて、よるはかくれてひるいづる、老鼠や、その十いなだきをなからに剃り、そりいなみいたも泣く子や、洟ひるや木でのごはむや、竹で拭はむや、さら/\に利鎌に刈りて、でのごはむ、新年宴會利鎌もて刈りゆふ注連のとしのはにいやつぎ行かむ今日の宴は雪筑波嶺の茅生のかや原さら/\にこゝには散らず降れる雪かも二並の山の峽間に降りしける雪がおもしろはだらなれども筑波嶺に降りける雪は白駒の額毛に似たり消えずもあらぬか寄鑄物師秀眞小鼠は栗も乾も引くといへどさぬるふすまも引くらむや否うつばりのたはれ鼠が栲繩のひきて行くちふひとりさぬれば橿の實のひとりぬればに鼠だに引くとさはいふひとりはないね嫁が君としかもよべども木枕をなめてさねなむ鼠ならめやもいとこやの妹とさねてば嫁が君ひくといはじもの妹とさねてば嫁が君よりてもこじを妹がかた鑄てもさねなゝ冷たかりともみかの瓮に鼠おとしもおとさずも妹とさねてば引くといはなくに小鼠のひくといふものぞ犢牛の角のふくれはつゝましみこそ海苔品川のいり江をわたる春雨に海苔干す垣に梅のちる見ゆ贈答歌壬寅の秋、歌の上に聊か所見を異にし、左千夫とあげつらひせる頃、左千夫におくれる歌みづ/″\し、粟の垂穗の、しだり穗を、切るや小畠の、生ひ杉菜、根の深けく、おもほゆる、心もあらねど、吾はもや、相爭ひき、しかれども、棕櫚の、毛をよる、繩のはし、さかり居りとも、またあはざめや...   短歌少女子の小松が根ろに茸狩ると巖阪根阪踏みならすらし吾父ひとのことにかゝづらひて一たびは牢の内にもつながれけるが三とせになれどもことのうたがひははれず、その間心をいたましめしこといくそばくぞや、丑のとし十月のはじめかさねて召し出さるゝことゝなりければうれへあらたに來る思ありてたへがたくおぼゆるまゝによめりけるちゝのみの父は行かすもこと分の司のにはへ父は行かすもわが父にことなあらせそ吾ために一人の母が泣かざらめやはちゝのみの父を咎めむ掟あらば失せもしなゝむ人知らぬとにかくのみにつれなきものか世の中にねぢけし人は父はあらなくにちゝのみの父を念へばいゆしゝのいためる心なぐさもらなく世の中はわりなきものかまがつみに逢ひてすべなき父をし念へば日月はもこゝだもふれどいや日けにうれへはまして忘らえぬかも吾心なぐさまなくに父もへばまうら悲しき秋の風ふくはゝそはの母の命がうらさびてうれたむ見れば心は泣かゆいつたりの子等が念ひは久方の天にとほりて人も知りこそ去年の秋のころ日ごとにうた一つ二つづゝよみてはかき付けて見むと思ひおこしけることありしがいく程もなくて止みたり、いま反古ども披きみるに自らには思ひ出のうれしきまゝ抜きいでぬ、よしなきことのすさびなりかし十月二十四日、あさの程よりくもる、舊暦九月の十三日なりとのぐもり天の日も見ず吾待ちしこよひの月夜照らずかもあらむ二十五日、夕ぐれに鴫網を張る押し照れる月夜さやけみ鳥網張る秋田の面に霧立ちわたる秋の田の穗の上霧合へりしかすがに月夜さやけみ鴫鳴きわたる夕されば鴫伏す田居に鳥網張り吾待つ月夜風吹くなゆめ秋の田に鳥網張り待ちこのよひの清き月夜に鴫とりかへる二十六日、鉈とりて竹を伐るむらどりの塒竹むら下照りてにほふ柿の木散りにけるかも二十七日、きぬ川のほとりを行くうぐひすのあかとき告げて來鳴きけむ川門の柳いまぞ散りしく二十八日秋の田に少女子据ゑて刈るなべに櫨とぬるでと色付きにけり二十九日、なにがしの寺の庭にある白膠木の老木の實をむすびたるを見てくれなゐに染みしぬるでの鹽の實の鹽ふけり見ゆ霜のふれゝば)三十日、雨ふる秋雨に濡らさく惜しみ柿の木に來居て鳴くかも小笠かし鳥うみ苧集八月四日、雨、下づまにやどる草枕旅に行かむと思へるに雨はもいつか止まむ吾ため五日、あさの程くもり、五十日に及びて雨はれず苧だまきを栗のたれはな刺むすび日はへぬれども止まぬ雨かも午后にいたりて日を見るおぼゝしく降りける雨は青の立秀の上にはれにけるかも八日、立秋久方の雨やまなくに秋立つとみそ萩の花さきにけるかも十二日、雨、この日下づまに在り、友なるもの、いたづける枕もとにさま/″\の話してあるほどに房州の那古にありける弟おもひもかけず來り合せたるにくさ/″\のことをききて烏賊釣に夜船漕ぐちふ安房の海はいまだ見ねども目にしみえくも十四日、きぬ川のほとりを行くの木は芽立つやがてに折らゆれどしげりはしげし花もふさ/\廿五日、ものへ行く、棚にたれたる糸瓜のふとしきをみて秋風は吹きもわたれかゆら/\に糸瓜の袋たれそめにけり青袋へちまたれたりしかすがにそのあを袋つぎ目しらずも夏引の手引の糸をくりたゝね袋にこめてたれし糸瓜か廿八日、芒の穗みえそむ秋風はいまか吹くらし小林に刈らでの芒穗にいでそめつ廿九日、筑波のふもとへ行く、落栗のいや珍らしきをよろこびてよめる楯名づく青垣よろふ、筑波嶺の裾曲の田居は、甘稻の十握にみのる、八十村の中の吉村は、投左のとほくしあれば、足毛には玉ちるまでに、汗あえて吾きてみれば、思はぬにみあへつしろと、めづらしき栗にもあるかも、小林の木ぬれになるは、青刺のまだしきものと、とりとみぬ秋のまだきに、こゝにたふべぬあし曳の山裾村に秋きぬと栗子柿子はかね付けにけり三十日、夕、きぬ川のほとりをかへるに幼子どものむれあそべるをみてよめる青鉾の葱を折り、袋なす水を滿て、うらべには穴をあけ、その穴ゆさばしる水を、おもしろといそばひすもよ、白栲のきぬの川べに、夕さりにつどへる子らが、いそばひすもよ三十一日、成田へ行かむと夜印旛沼のほとりを過ぐぬば玉の夜にしあれば伊丹庭の湖さやに見えねどはろ/″\に見ゆ竪長の横狹の湖ゆ見出せばおほに棚引き天の川見ゆいにはの湖水田稻村めぐれどもまさしに見えず夜のくらければ九月一日、滑川より雙生丘をのぞむ大船の取の稻田はろ/″\に見放くる丘の雙生しよしも雙生丘にのぼる、利根川の水その下をひたして行く形の瓢に似たるも面白ければくすの木の木垂るしげ丘は秋風に吹かれの瓢ころぶすが如し秋風はいたくな吹きそ白波のい立ちくやさば瓢なからかむ秋風の吹けどもこけずひた土のそこひの杭につなぐひさごかなりひさご竪さに切りて伏せたれどその片ひさごありか知らなく二日、利根川のほとりに人をたづぬ、打ちわたす稻田おほかたは枯れはてたり、いかなればかと問へば雨ふりつゞきて水滿ちたゝへたれども落すすべを知らず、日久しくしてかくの如しといふ甘稻のみのりはならず枯れたるに水滿てるかも引くとはなしに久方の天くだしぬる雨ゆゑに稻田もわかずひたりけるかもまがなしく枯れし稻田をいつとかも刈りて收めむみのらぬものを日のごとも水は引けども秋風のよろぼひ稻に吹くが淋しさ三日、印旛沼のほとりを過ぐしすゐのや柏木村を行きみればもく採る舟かつらに泛けるは)味村のつらゝの小舟葦邊にか漕ぎかくりけむ見れども見えず四日、蕨氏に導れて杉山を攀のぼるとて睦岡の埴谷の山はいばらつら足深にわけて越ゆる杉山とよみけるがいたくあやまりたり、このわたりの杉山ことごとくしたぐさ刈りそけて見るに涼しげなり睦岡の五百杉山はしたぐさの利鎌にふりて見るにさやけし五日、けふも杉山見に行く赤阪は鎌わたらず、小芒のおどろもゆらに、蛇ぞさわたる、蛇わたる山の赤阪、行きがてぬかも六日、八街原をかへりくるに波の音きこえければから籾をすり臼にひき、とゞろにきこゆるものは、とほ/″\し矢刺の浦の、波にしあるべし千葉の野を過ぐ千葉の野を越えてしくれば蜀黍の高穗の上に海あらはれぬもろこしの穗の上に見ゆる千葉の海こぎ出し船はあさりすらしも百枝垂る千葉の海に網おろし鰺かも捕らし船さはにうく九月十九日、正岡先生の訃いたる、この日栗ひらひなどしてありければ年のはに栗はひりひてさゝげむと思ひし心すべもすべなささゝぐべき栗のこゝだも掻きあつめ吾はせしかど人ぞいまさぬなにせむに今はひりはむ秋風に枝のみか栗ひたに落つれど二十日、根岸庵にいたるうつそみにありける時にとりきけむ菅の小蓑は久しくありけり二十三日、おくつきに詣でゝかくの如樒の枝は手向くべくなりにし君は悲しきろかも笥にもりてたむくる水はなき人のうまらにきこす水にかもあらむ廿五日、初七日にあたりふたゝびおくつきにまうでぬ、寺のうら手より蜀黍のしげきがなかをかへるとて吾心はたも悲しもともずりの黍の秋風やむ時なしに秋風のいゆりなびかす蜀黍の止まず悲しも思ひしもへばもろこしの穗ぬれ吹き越す秋風の淋しき野邊にまたかへり見む秋風のわたる黍野を衣手のかへりし來れば淋しくもあるか十月九日、三七日にあたりぬ、はろかに思をはせてよみはべりけるまうですと吾行くみちにもえにける青菜はいまかつむべからしもいつしかも日はへにけるかまうで路のくまみにもえし菜はつむまでに投左のとほさかり居て思はずは青菜つむ野をまた行かむもの青雲の棚引くなべに目かげさし振放見ればみやこはとほし明治三十六年狂體十首萬葉集の尨大なる作者もさま/″\に、形體もさま/″\なるものから、仔細に視むことは容易のことに非ざれども、一言にして之を掩へば、句法の緊密にして音調の莊重なるはその特色なり、少くとも佳作と稱すべきものは大抵これなり、記、紀の歌は萬葉の素をなしたるものなれば相似たるは固よりなれども、その間自ら異りたるものありて存す、句法の如き萬葉の緊りたるに比すれば寛かに、音調の如き萬葉の重きに比すれば朗かなりといふの當れるを思ふ、而して共に措辭の巧妙にして曲折あるは規を一にす、之を譬ふるに萬葉の歌は壯夫の弓箭を手挾みて立てるが如く記、紀の歌は將帥の從容として坐せるが如けむ、神樂、催馬樂はこの二つのものに比するに、分量に於て、價値に於て、同日の談に非ざれども、遙に悠長にして、遙に卑近なる所、記、紀、萬葉の以外に長所の存するところにして亦一體なり、要するに萬葉の歌を眞面目なりとすれば、記、紀の歌は温顏なるが如く、神樂、催馬樂は即ちおどけたるが如し、神樂、催馬樂には折り返し疊み返したる句おほし、これ曲に合せて謳ふものなりといへばならむ、調子のゆるやかなる所以なり、その謳ふや必ず雅撲にして超世のおもひあるべしと信ずれども、寡聞にして未だこれを知らず、單に普通の歌として見るに過ぎざれども、亦研究に値すべきものなからず、五言七言の句以外に三言四言六言八言九言も自由なるべく、漢語俗語を用ゐるもよく調和すべきが如き、まゝ奇警なる語句を挾むところあるが如き、他の體に見るべからざるものなり、只そのこれをいふものなきは、注目するものゝ少きに因るならむ、狂體十首は普通の歌として視たる神樂、催馬樂の體を參酌して試みに作りたるものなり、研究の足らざるや、その體の完全なるものと雖も成ること難からむ、ましてこの體の果して發達生長せしむべきものなりや否や疑はしきものなれば失敗に歸したるは勿論のみ、されど予はその成るべきか、成らざるべきか自ら悟らざるまでは折々に作りて見むと思ふ、晦澁卑俗なるの故を以て斥けられざれば幸なり、その一田におり居の鴫、しぎつき人つき網もち、とほめぐりいや近めぐり、めぐれども羽叩もせず、鴫はをらずや、鴫は居れどかくれて居りと、おのれ見ゆらくを知らに、稻莖に嘴をさしいれ、さし入れてかくれて居りと、網でとられきや、その二おほ寺の榎がうれに、このみをばとりてはまむと、綱かけてのぼりけむや、梯かけてのぼりけむや、はしもかけずつなもかけずて、なにをしてかよぢけむぞ子や、おりこやと母が喚べど、このみはみおりてもこぬや、父がよばゞおりや、その三水つくや稻の朽田に、ひれふりてあそべる鮒を、筌おきてとらばよけむや、叉手さしてすくひてとらむ、しかれども叉手をさせば、田をこえてにげて行くや、畔放ちてたれかおきけむ、吾田の畔を、その四殖椚くにぎがしたに、芒刈るをとめ、なが刈らせこそ、春野の雉子、あすからはかくれて逢はむや、あはむやきゞす、その五葱つくりは灰こそよき、藁灰や粟がらの灰、黍稈の灰もこそよき、しかれども竹の灰は、まことぞも葱は枯らす、竹やくなゆめ、その六芋の子の子芋こそ、九つも十もよけれ、としごとに子もたるをみな、子はもたせこそ盥のそこを、一つうち二つうち、三つ四つや五つ六つうち、七つうたばとしの七とせ、へだてゝぞ子はもつらむや、八つうたば八とせや、その七葦邊には羽をあらふて、羽あらふてわたる棹雁、棹もちてここにおちこ、吾田のや刈束稻、馬に積み車に積み、そのあまりは朸にかけて、もて行かむに朸もがも、その棹もちこ、その八法林寺の佛の首は、雨もりておつればつぐ、鷺のくび木兔のくびも、かたみ換へ接がばつぎうるや、そのつぐは生麩わらび粉、そくいひつのまたいせのりもあれどえつがずや、にべにかはこそ付けばとれぬもの、その膠は犢の牛の、寸涎のこりてなるちふ、まことしかなりやその九篠原やしぬをため、おしためて罠をつくり、しりからは籾はくはえず、さきから籾をくはむと蒿雀ひよどりや、ひたきも取れてあらむと、こはや足をはさまれて、はさまれて居る鼠や、をばやし小溝の鼠、みづ田くが田の鼠は、みしねくひ麥くふ、きやう鼠はつか鼠、いへるなる鼠は戸も柱もくひやぶれど、ひるは梁にかくる、大宮の老鼠、わなにもかゝらずて、よるはかくれてひるいづる、老鼠や、その十いなだきをなからに剃り、そりいなみいたも泣く子や、洟ひるや木でのごはむや、竹で拭はむや、さら/\に利鎌に刈りて、萱でのごはむ、新年宴會利鎌もて刈りゆふ注連のとしのはにいやつぎ行かむ今日の宴は雪筑波嶺の茅生のかや原さら/\にこゝには散らず降れる雪かも二並の山の峽間に降りしける雪がおもしろはだらなれども筑波嶺に降りける雪は白駒の額毛に似たり消えずもあらぬか寄鑄物師秀眞小鼠は栗も乾も引くといへどさぬるふすまも引くらむや否うつばりのたはれ鼠が栲繩のひきて行くちふひとりさぬれば橿の實のひとりぬればに鼠だに引くとさはいふひとりはないね嫁が君としかもよべども木枕をなめてさねなむ鼠ならめやもいとこやの妹とさねてば嫁が君ひくといはじもの妹とさねてば嫁が君よりてもこじを妹がかた鑄てもさねなゝ冷たかりともみかの瓮に鼠おとしもおとさずも妹とさねてば引くといはなくに小鼠のひくといふものぞ犢牛の角のふくれはつゝましみこそ海苔品川のいり江をわたる春雨に海苔干す垣に梅のちる見ゆ贈答歌壬寅の秋、歌の上に聊か所見を異にし、左千夫とあげつらひせる頃、左千夫におくれる歌みづ/″\し、粟の垂穗の、しだり穗を、切るや小畠の、生ひ杉菜、根の深けく、おもほゆる、心もあらねど、吾はもや、相爭ひき、しかれども、棕櫚の、毛をよる、繩のはし、さかり居りとも、またあはざめやの読み方
長塚節 「長塚節歌集 上」

...然らば數多き東國の間を、如何なる徑路を傳はつて、此等新佛教の傳道者が鎌倉に向つたかと云ふに、それは王朝以來の東に向ふ大通りを進んだもので、近江の野路、鏡の宿より美濃の垂井に出で、それより箕浦を經て、尾張の津、三河の矢作、豐川と傳はり、橋本、池田より遠州の懸河を通り、駿河の蒲原より木瀬川、酒勾にかゝりて鎌倉に著したのである、即ち今の鐵道線路と大なる隔りはない、日數は日足の長い時と短い時とで一樣には行かぬが、冬の日の短き時には將軍の上り下りなどには、十六七日を要し、春の季や夏の日の長い時なれば十二三日位で達し得たのである、個人の旅行は行列の旅行よりも一層輕便に出來る點から考ふれば、いま少し短期で達し得る樣なものであるが、宿驛に大凡定まりあるが故に甚しき差異はなかつたらしい、それは東關紀行などに照らしても明かである、阿佛尼の旅行には十一月に十四日を費した、最もこれは女の足弱であるから例にならぬかも知れぬ、伊勢路即海道記の著者が取つた道筋は、山坂も險阻であるのみならず日數を費すことも多かつたところから、普通の人は皆美濃路を擇んだものと見える、而して淨土僧禪僧も皆此美濃路に出でたが爲、伊賀伊勢志摩の三國は京都に近き國々でありながら、鎌倉時代を終るまで殆ど新宗教の波動を受けなかつたと云つて差支ないのである...   然らば數多き東國の間を、如何なる徑路を傳はつて、此等新佛教の傳道者が鎌倉に向つたかと云ふに、それは王朝以來の東に向ふ大通りを進んだもので、近江の野路、鏡の宿より美濃の垂井に出で、それより箕浦を經て、尾張の萱津、三河の矢作、豐川と傳はり、橋本、池田より遠州の懸河を通り、駿河の蒲原より木瀬川、酒勾にかゝりて鎌倉に著したのである、即ち今の鐵道線路と大なる隔りはない、日數は日足の長い時と短い時とで一樣には行かぬが、冬の日の短き時には將軍の上り下りなどには、十六七日を要し、春の季や夏の日の長い時なれば十二三日位で達し得たのである、個人の旅行は行列の旅行よりも一層輕便に出來る點から考ふれば、いま少し短期で達し得る樣なものであるが、宿驛に大凡定まりあるが故に甚しき差異はなかつたらしい、それは東關紀行などに照らしても明かである、阿佛尼の旅行には十一月に十四日を費した、最もこれは女の足弱であるから例にならぬかも知れぬ、伊勢路即海道記の著者が取つた道筋は、山坂も險阻であるのみならず日數を費すことも多かつたところから、普通の人は皆美濃路を擇んだものと見える、而して淨土僧禪僧も皆此美濃路に出でたが爲、伊賀伊勢志摩の三國は京都に近き國々でありながら、鎌倉時代を終るまで殆ど新宗教の波動を受けなかつたと云つて差支ないのであるの読み方
原勝郎 「鎌倉時代の布教と當時の交通」

...しまのしげみがざわめき立ったと思った...   しま萱のしげみがざわめき立ったと思ったの読み方
本庄陸男 「石狩川」

...うしろの山の(かや)をだんだん上流のほうへ青じろく波だてて行きました...   うしろの山の萱をだんだん上流のほうへ青じろく波だてて行きましたの読み方
宮沢賢治 「風の又三郎」

...草(かんぞう)色の喪の袴(はかま)の鮮明な色をしたのを着けているのが...   萱草色の喪の袴の鮮明な色をしたのを着けているのがの読み方
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」

...堂は近頃如何です...   萱堂は近頃如何ですの読み方
森鴎外 「伊沢蘭軒」

...日本の葺きには...   日本の萱葺きにはの読み方
柳田国男 「母の手毬歌」

...なにごとかしらんおの顔は紙のように白かった...   なにごとかしらんお萱の顔は紙のように白かったの読み方
山本周五郎 「菊屋敷」

...まえの葺屋根(かやぶきやね)の家から...   まえの萱葺屋根の家からの読み方
吉川英治 「神州天馬侠」

...早水と野の二人は...   早水と萱野の二人はの読み方
吉川英治 「新編忠臣蔵」

...江戸表を立った早水藤左衛門と野三平のふたりは...   江戸表を立った早水藤左衛門と萱野三平のふたりはの読み方
吉川英治 「新編忠臣蔵」

...乃が憎いのではございません...   萱乃が憎いのではございませんの読み方
吉川英治 「親鸞」

...牧の妻のも側にいなかった...   牧の妻の萱も側にいなかったの読み方
吉川英治 「源頼朝」

「萱」の読みかた

「萱」の書き方・書き順

いろんなフォントで「萱」

「萱」の英語の意味

「萱なんとか」といえば?   「なんとか萱」の一覧  


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