...その向うの葉山茂山の上に雪をいたゞく谷川岳あたりの山とを見た時...
石川欣一 「山を思う」
...水くねり流るる邑(むら)や柳かげ茂山(しげやま)や植林治政三十年田を植うる白き衣をかかげつつ六月十一日 京城着...
高浜虚子 「六百句」
...(九月八日)百二十○雑誌『ホトトギス』第五巻第十号東京俳句界の中に茂山(しげやま)の雫(しずく)や凝(こ)りて鮎(あゆ)となり耕村(こうそん)といふ句を碧梧桐(へきごとう)が評したる末に「かつ茂山(もざん)をシゲヤマと読ますこと如何にも窮せずや」とあり...
正岡子規 「病牀六尺」
...俳句にも茂山(しげやま)やさては家ある柿若葉 蕪村といふ蕪村の句さへあるにあらずや...
正岡子規 「病牀六尺」
......
夢野久作 「梅津只圓翁伝」
...権現(ごんげん)坂から川並(かわなみ)村の高地茂山(しげやま)あたりにかけて駐(と)まっていた...
吉川英治 「新書太閤記」
...茂山のあたりまで...
吉川英治 「新書太閤記」
...余吾の西岸で、また一合戦あったが、柴田勢は、踵(きびす)もつかず、ふたたび奔(はし)って、茂山、足海峠の辺へまとまった...
吉川英治 「新書太閤記」
...茂山一帯の陣地では...
吉川英治 「新書太閤記」
...もし彼が、積極的に玄蕃允盛政と力を協(あわ)すとしたら、茂山、足海の線でも、長途の兵たる秀吉方をして、ああまで思いのまま蹂躪(じゅうりん)させるようなことはなかったろう...
吉川英治 「新書太閤記」
...茂山の篝(かがり)が...
吉川英治 「新書太閤記」
...ちょうど茂山の前田父子の陣前に迫った頃――であった...
吉川英治 「新書太閤記」
...茂山から旗を返して...
吉川英治 「新書太閤記」
...北進をつづけて――茂山から父室(ふむろ)村を経...
吉川英治 「新書太閤記」
...茂山からこの辺まで...
吉川英治 「新書太閤記」
...茂山退陣の態度に見ても...
吉川英治 「新書太閤記」
...この情景で見ると、茂山退陣の際に、前田軍が払った犠牲は、戦死十数名、戦傷三十七、八名であったことがわかる...
吉川英治 「新書太閤記」
...茂山の乱軍より落ちのびた節は...
吉川英治 「新書太閤記」
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