...此の看板娘は今も日比谷公園近くに盛大に或種の店舖を構へ...
生田葵山 「永井荷風といふ男」
...廊下の舖板(しきいた)が足を移す毎にキシ/\と鳴く...
石川啄木 「菊池君」
...そも時(かう)款貨舖(ぐや)の...
井上哲次郎 「「西周哲學著作集」序」
...舖道までは大變遠い...
海野十三 「恐怖について」
...)[ワザワザ Geschft トイフト大抵營業、店舖ヲ指シマス...
關口存男 「新獨逸語文法教程解説」
...扇子など商ふ紀友といふ老舖が日本橋七日市にある...
竹久夢二 「砂がき」
...わが友はこの福島町なる奇應丸(きおうぐわん)の本舖(ほんぽ)高瀬なにがしの家に滯(とゞま)れりと聞くに...
田山花袋 「秋の岐蘇路」
...河口の左側突端に「唐人屋舖」があり...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...砂村屋舖ニ相越シ...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...「右之通雛型、築地於屋舖内、手職人エ申付爲造立度、尤長崎住居大工幸八ト申者、此節致出府居候ニ付、屋舖エ呼寄、爲見繕申度、出來之上於内海致爲乘樣、其上彌以可也乘方出來候時ハ、海路國許エ差遣シ、船手之モノ共爲習練、江戸大阪共爲致往還度、彼是相伺候、可然御差圖被成可被下候、以上、閏七月廿四日、松平土佐守」船が出來たらばまづ江戸内海において運轉させ、それから國元土佐へ送つて藩の船手共へ習練させる、上達したらば江戸、大阪間を往復させるといふ意味であるが、文中幸八の名があつて昌造の名が出ないのは、昌造は長崎奉行配下で目下江戸出役中ゆゑ、幕府へは憚りあつたのであらう...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...藥舖(くすりや)では罎(びん)へ入(い)れた藥(くすり)を二包(ふたつゝみ)渡(わた)して呉(く)れた...
長塚節 「土」
...醫者(いしや)は復(また)藥舖(くすりや)へ行(い)つて來(こ)いといつた...
長塚節 「土」
...醫者(いしや)は更(さら)に勘次(かんじ)を藥舖(くすりや)へ走(はし)らせた...
長塚節 「土」
...老舖(しにせ)の佛具店で...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...そこから表通りの要屋――海道筋の老舖(しにせ)で...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...老舖(しにせ)の御新造らしくなく派手なのが...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
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樋口一葉 「別れ霜」
...かなりくはしい平安堂筆舖の岡田君や...
吉川英治 「折々の記」
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