...戦艦(いくさぶね)一百七十艘を率(ひき)いて白村江(はくそんこう)(朝鮮(ちょうせん)忠清道(ちゅうせいどう)舒川県(じょせんけん))に陣列(つらな)れり...
芥川龍之介 「金将軍」
...一々これを細舒(さいよ)しおれば本誌全誌を挙げてもなお不足を覚ゆる位である...
押川春浪補 「本州横断 痛快徒歩旅行」
...三 舒明天皇...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...習習は春風の和らぎ舒(の)びるかたち...
岡倉覚三 村岡博訳 「茶の本」
...山舒(の)び、水緩(ゆるや)かに、鷄犬の聲歴落(れきらく)として雲中に聞ゆ...
田山花袋 「秋の岐蘇路」
...かういふ考へ方からかりに研究の順序をまとめて述べて見れば、先づ劉向父子の遺著、漢藝文志、それから揚雄の法言、方言、王充の論衡と云ふ樣な、即ち前漢末、後漢初の著述を一の標準として、其の以前の古書がどこまで其の標準よりも古い實質を保存して居るか、又どこまで竄亂があるかと云ふことを一應判斷し、それから今一歩進んで、史記を中心として、同時代の董仲舒、それから今少し前の淮南子、賈誼新書とか云ふ者、即ち秦火の厄に罹つた後、古書が始めて世に出でた時、間もなく著述されたあらゆる本を標準として、その以前の本をしらべ、その竄亂の程度を知り、更に遡つて呂子春秋の如き戰國の著述に及ぶのである...
内藤湖南 「支那古典學の研究法に就きて」
...八ツ手の若芽舒ぶ...
永井荷風 「断腸亭日乗」
...苗のまだ舒(の)びない花畑は...
永井荷風 「百花園」
...いかにも風土の恵みを喜ぶがやうに威勢好く其葉を舒(のば)してゐる...
永井壮吉 「冬日の窓」
...」青年夏徴舒は二人の言葉をはっきりと聞いた...
中島敦 「妖氛録」
...おのずから是れ舒徐(じょじょ)繁衍(はんえん)...
新渡戸稲造 「自警録」
...脚を舒(の)べて睡るに反し...
南方熊楠 「十二支考」
...袈裟を舒(の)ばせば格別大きくなる...
南方熊楠 「十二支考」
...その他哥舒翰(かじょかん)がその馬赤(せき)将軍の背に朝章(ちょうしょう)を加え...
南方熊楠 「十二支考」
...塔前において左股を舒(の)べ右脚を屈し...
南方熊楠 「十二支考」
...雲の巻舒(けんじょ)...
吉江喬松 「木曾御嶽の両面」
...此雲の徂徠、雲の卷舒、到底下界では見られない現象である...
吉江喬松 「山岳美觀」
...羽翼ヲ舒(ノ)ベ張ル...
吉川英治 「三国志」
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