...三 舒明天皇...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...岡本の宮においでになつて天下をお治めなさいました天皇(舒明天皇)・ナカツ王・タラの王のお三方です...
稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 「古事記」
...上品(ひん)に用ふる処の毛よりも細(ほそ)き糸を綴兆(しゞめたり)舒疾(のべたり)してあつかふ事...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...公主は白い腕を舒(の)べ...
田中貢太郎 「西湖主」
...これより山緩(ゆるや)かに水舒(の)びて...
田山花袋 「秋の岐蘇路」
...渓は唯静かに舒(のび)やかに流れた...
田山録弥 「山間の旅舎」
...他方に液体の分子集合の緩舒(かんじょ)な状態を考えれば...
寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
...舒業順敍緒也といふのには...
内藤湖南 「爾雅の新研究」
...かういふ考へ方からかりに研究の順序をまとめて述べて見れば、先づ劉向父子の遺著、漢藝文志、それから揚雄の法言、方言、王充の論衡と云ふ樣な、即ち前漢末、後漢初の著述を一の標準として、其の以前の古書がどこまで其の標準よりも古い實質を保存して居るか、又どこまで竄亂があるかと云ふことを一應判斷し、それから今一歩進んで、史記を中心として、同時代の董仲舒、それから今少し前の淮南子、賈誼新書とか云ふ者、即ち秦火の厄に罹つた後、古書が始めて世に出でた時、間もなく著述されたあらゆる本を標準として、その以前の本をしらべ、その竄亂の程度を知り、更に遡つて呂子春秋の如き戰國の著述に及ぶのである...
内藤湖南 「支那古典學の研究法に就きて」
...それを馬子の子の蝦夷等が變更して舒明天皇を位に即け奉つた...
内藤湖南 「聖徳太子」
...麥早くも舒びて穗あり...
永井荷風 「荷風戰後日歴 第一」
...水仙の葉舒ぶ...
永井荷風 「断腸亭日乗」
...八ツ手の若芽舒ぶ...
永井荷風 「断腸亭日乗」
...糸瓜や南瓜の舒び放題に舒びた蔓の先に咲く花が...
永井荷風 「蟲の聲」
...うまし國ぞあきつ島やまとの國は舒明天皇御製なり...
正岡子規 「萬葉集を讀む」
...その他哥舒翰(かじょかん)がその馬赤(せき)将軍の背に朝章(ちょうしょう)を加え...
南方熊楠 「十二支考」
...丸山の阿部邸には一種便安舒暢(べんあんじよちやう)の気象が満ちてゐたかとおもはれる...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...羽翼ヲ舒(ノ)ベ張ル...
吉川英治 「三国志」
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