...露のひぬま……と書かれた扇を手文庫から出して人知れず愛着の思いを舒(の)べているところに跫音がして...
上村松園 「朝顔日記の深雪と淀君」
...久闊(きゅうかつ)を舒(じょ)し...
高村光雲 「幕末維新懐古談」
...五その後舒林寺の住持の方からもお話がありまして...
橘外男 「蒲団」
...これより山緩(ゆるや)かに水舒(の)びて...
田山花袋 「秋の岐蘇路」
...近頃にない舒(の)びやかな心持になって門を出たら...
寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
...一様に淡く寛舒(レラクセーション)の表情が浮んでいる...
寺田寅彦 「電車と風呂」
...緊張と寛舒(レラクセーション)の利害を論じた...
寺田寅彦 「電車と風呂」
...他方に液体の分子集合の緩舒(かんじょ)な状態を考えれば...
寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
...かういふ考へ方からかりに研究の順序をまとめて述べて見れば、先づ劉向父子の遺著、漢藝文志、それから揚雄の法言、方言、王充の論衡と云ふ樣な、即ち前漢末、後漢初の著述を一の標準として、其の以前の古書がどこまで其の標準よりも古い實質を保存して居るか、又どこまで竄亂があるかと云ふことを一應判斷し、それから今一歩進んで、史記を中心として、同時代の董仲舒、それから今少し前の淮南子、賈誼新書とか云ふ者、即ち秦火の厄に罹つた後、古書が始めて世に出でた時、間もなく著述されたあらゆる本を標準として、その以前の本をしらべ、その竄亂の程度を知り、更に遡つて呂子春秋の如き戰國の著述に及ぶのである...
内藤湖南 「支那古典學の研究法に就きて」
...又儒林傳に出てゐる董仲舒などは...
内藤湖南 「支那目録學」
...それを馬子の子の蝦夷等が變更して舒明天皇を位に即け奉つた...
内藤湖南 「聖徳太子」
...長く舒(の)ばした髪をわざと無造作に後(うしろ)に掻き上げている様子...
永井荷風 「つゆのあとさき」
...蕉ハ葉ヲ落サズ一葉舒(ノブ)ルトキハ則チ一葉蕉(カ)ル...
牧野富太郎 「植物一日一題」
...うまし國ぞあきつ島やまとの國は舒明天皇御製なり...
正岡子規 「萬葉集を讀む」
...その他哥舒翰(かじょかん)がその馬赤(せき)将軍の背に朝章(ちょうしょう)を加え...
南方熊楠 「十二支考」
...四月十七日四月二十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 上落合より(赤城泰舒筆「雨海を渡る」の絵はがき)〕第十二信の別...
宮本百合子 「獄中への手紙」
...愁緒千条不展舒...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...雷(いかずち)の神濃き雲を舒(の)ぶるとき...
Johann Wolfgang von Goethe 森鴎外訳 「ファウスト」
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