...一 能褒野の御陵...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...能褒野(のぼの)という野へお着きになりました...
鈴木三重吉 「古事記物語」
...清泉大石のもとを流る梧桐の庭ゆく水の流れ去る垣も朽ちねばいますかと思ふ巨椋(おほくら)の池の堤も遠山も淀曳く船も見ゆる此庵桃山の萱は葺きけむ此庵を秋雨漏らば掩はむや誰二十二日、丹波路何鹿(いかるが)の和知(わち)のみ溪の八十村に名に負ふ栗山いまだはやけむ丹後舞鶴の港より船に乘りて宮津へ志す眞白帆のはらゝに泛ける與謝の海や天の橋立ゆほびかに見ゆ二十三日、橋立途上葦交り嫁菜花さく與謝の海の磯過ぎくれば霧うすらぎぬ橋立橋立の松原くれば朝潮に篠葉(しのば)釣る人腰なづみ釣る成相山に登るこゝにして竪さに見ゆる橋立の松原通ふ人遠みかも松原を長洲の磯とさし出の天の橋立海も朗らに弓の木村より樗峠にのぼるとりよろふ天の橋立よこさまに見さくる山を來る人は稀岩瀧村より船にて宮津へ渡る與謝の海なぎさの芒吹きなびく秋風寒し旅の衣に宮津より栗田村に越ゆる坂路にたちて鰺網を建て干す磯の夕なぎに天の橋立霧たなびけり干蕨蓆に曝す山坂ゆかへり見遠き天の橋立栗田村より由良港にいたる、右は峻嶺笠を壓して聳へ、左は海濤脚下巖を噛む由良の嶺に栗田の子らが樵る柴は陸ゆはやらず蜑舟に漕ぐ眞柴こり松こる子らが夕がへり疾きも遲きも磯に立ち待つ二十四日、由良の港を立つ由良川は霧飛びわたる曉の山の峽より霧飛びわたる曉の霧は怪しも秋の田の穗ぬれに飛ばず河の瀬に飛ぶ由良川の霧飛ぶ岸の草村に嫁菜が花はあざやかに見ゆ四所村間道からす鳴く霧深山の溪のへに群れて白きは男郎花ならし諸木々の梢染めなば萱わけて栗ひらふべき山の谷かも廿五日、攝州須磨寺須磨寺の松の木の葉の散る庭に飼ふ鹿悲し聲ひそみ鳴く須磨敦盛塚松蔭の草の茂みに群れさきて埃に浴みしおしろいの花舞子濱落葉掻く松の木の間を立ち出でゝ淡路は近き秋の霧かも舞子の濱松に迫りてゆく船の白帆をたゆみいし漕ぐや人明石人丸社淡路のや松尾が崎に白帆捲く船明かに松の上に見ゆ明石にやどる此夜大漁沖さかる船人をらび陸どよみ明石の濱に夜網夜曳く瀬戸の海きよる鰯は彌水(いやみづ)の潮の明石の潮|に曳く鰯引く袋をおもみ引きかねて魚籃にすくふ磯の淺瀬にいわし曳く網のこぼれはひりはむと渚の闇に群れにけるかも明石潟あみ引くうへに天の川淡路になびき雲の穗に歿る廿六日、垂水濱茅淳の海うかぶ百船八十船の明石の瀬戸に眞帆向ひ來も廿七日、南禪寺附近葉頭(かまつか)もつくる垣内のそしろ田に引板の繩ひく其水車廿八日、八瀬の里に竈風呂を見る、岩もて洞穴のやうにつくりたるものなり、朝に穴のうちに火を焚けばぬくもり終日去らず、鹽俵をしきて内に入りて戸を閉ぢて打ち臥すなりとぞ、けふは冷えたる儘なり、家のさまは人を待つけしきにて庭には枝豆も作れりおもしろの八瀬の竈風呂いま焚かば庭なる芋も堀らせてむもの大原粽巻く笹のひろ葉を大原のふりにし郷は秋の日に干す寂光院途上鴨跖草の花のみだれに押しつけてあまたも干せる山の眞柴か寂光院あさ/\の佛のために伐りにけむ柴苑は淋し花なしにして堅田浮御堂小波のさや/\來よる葦村の花にもつかぬ夕蜻蛉かも廿九日、朝再び浮御堂に上る、此あたりの家々皆叺をつくるとて筵おり繩を綯ふ長繩の薦ゆふ藁の藁砧とゞと聞え來これの葦邊に湖畔には櫟の木疎らにならびたり布雲に叢雲かゝる近江の湖あさ過ぎくればしき鳴くや鵙比叡辻村來迎寺森可成墓冷かに木犀かをる朝庭の木蔭は闇き椰の落葉や志賀の舊都の蹟は大津町の北數町にして錦織といふ所に在り、即事さゝ彼の滋賀の縣の葱作り朶垣つくるあらき朶垣澁柿の腐れて落つる青芝も畑も秋田もむかし志賀の宮此舊都の蹟は洵に形勝の地なり、以て天智天皇の剛邁果敢の英主なりしを想見すべしいにしへの近江縣は湖濶く稻の秀國うつそみもよきうつゆふのさき國大和すみ棄てゝうべ知らしけむ志賀の宮どころ滋賀つのや秋田もゆたに湖隔つ田上山はあやにうらぐはし弘文天皇山陵白妙のいさごもきよき山陵は花木犀のかをる瑞垣志賀宮の舊蹟を見て此の山陵を拜すれば一種の感慨なき能はず世の中は成れば成らねばかにかくに成らねば悲し此の大君ろ卅日、嵯峨に遊びて福田静處先生を訪ふ一むらは乏しき花の白萩に柿の梢の赤き此庵導かれて近傍の名所を探る、野々宮冷かに竹藪めぐる樫の木の木の間に青き秋の空かも小倉山時雨の亭に至る、くさ/″\の話のうちに茸狩りし趾の小き穴に栗の一つ宛落ちたるは烏のしわざなりなど語らるゝをきゝて繩吊りて茸山いまだはやければ烏のもてる栗もひりはず嵯峨より宇多野に到る小芒の淺山わたる秋風に梢吹きいたむ桐の木群か十月一日、栂尾栂尾の槭(もみぢ)は青き秋風に清瀧川の瀬をさむみかも二日、大津より彦根に渡る葦の邊の(いり)おもしろき近江の湖鴨うく秋になりにけるかもは水中に竹簀をたて圍みたるをいふ、魚とるためなり彦根城廓内鵯の晴を鳴く樹のさや/\に葛も薄も秋の風吹く天主閣にのぼる名を知らぬ末枯草の穗に茂き甍のうへに秋の虫鳴く夕、彦根を去らむとして湖水をのぞむ比良の山ながらふ雲に落つる日の夕かゞやきに葦の花白し三日、伊勢に入る宮路ゆく伊勢の白子は竹簾古りにしやどの秋蕎麥の花一身田村途上鵲豆(ふぢまめ)を曳く人遠く村雀稻の穗ふみて芋の葉に飛ぶ四日、桃澤、奥島二氏と安濃津に遊ぶ、岩田川の河口を贄崎といふ安濃津に集る船は此川に入りて錨を卸す安濃の津をさしてまともにくる船の贄の岬に眞帆の綱解く贄崎のの筵ゆふかげり阿漕が浦に寄するしき浪五日伊勢の野は秋蕎麥白き黄昏に雨を含める伊賀の山近し六日、能褒野に至る、山陵は小なれども神さびたるに、程近き宮はあたり淋しくして形ばかりに齋きたるさまなり淺茅生のもみづる草にふる雨の宮もわびしも伊勢の能褒野は秋雨のしげき能褒野の宮守はさ筵掩ひ芋のから積む四日市より横濱へ汽船に乘る、風浪烈しくして伊勢灣を出づる能はず、伊良胡崎の蔭に假泊す潮さゐの伊良胡が崎の巖群にいたぶる浪は見れど飽かぬかも夜半(錨を)卷く、雨全く霽れて星かゞやけり伊良胡崎なごろもたかき小夜ふけに搖りもてくれば心どもなし七日、船觀音崎に入るしづかなる秋の入江に波のむた限りも知らに浮ける海月(くらげ)か十三日、郷に入り鬼怒川を過ぐ異郷もあまた見しかど鬼怒川の嫁菜が花はいや珍らしきわせ刈ると稻の濡莖ならべ干す堤の草に赤き茨の實我がいへにかへりてめづらしき蝦夷の唐茄子蔓ながらとらずとぞおきし母の我がため唐茄子は廣葉もむなし雜草(あらぐさ)の蚊帳釣草も末枯にして明治三十九年鬼怒沼の歌上脚にカルサン、肩に斧、樵夫分け入る鬼怒沼山、藤の黄葉に瑠璃啼きて、露冷けき樹の間を出で、薄に交るの栗、上枝の毬に胸を擦る...
長塚節 「長塚節歌集 中」
...能褒野へ行くのは此でよいかと道で逢うた百姓に聞いたらあれに見える土手が鈴鹿川で土橋が架つて居る...
長塚節 「松蟲草」
...果してそれは能褒野の山陵であつた...
長塚節 「松蟲草」
...民家のある處を過ぎて行くと山陵から餘り遠くなく能褒野の神社がある...
長塚節 「松蟲草」
...土地のさまはどうしても以前の能褒野を其儘現在に見るやうでいたくも秋寂びて居る...
長塚節 「松蟲草」
...余は能褒野を立つて高宮の停車場へ出る...
長塚節 「松蟲草」
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