...江戸からこんなところへ来て淋しいとは思わないか」と能登守はお松を顧(かえり)みてこう言ってくれました...
中里介山 「大菩薩峠」
...こうして駒井能登守は...
中里介山 「大菩薩峠」
...能登守が筒袖の羽織の紐を解くと...
中里介山 「大菩薩峠」
...甲府に来て以来の能登守は...
中里介山 「大菩薩峠」
...殊に主人の駒井能登守が砲術の名手として聞えた人であるだけに...
中里介山 「大菩薩峠」
...なぜか能登守はこの時に胸騒ぎがしました...
中里介山 「大菩薩峠」
...なぜ駒井能登守を打ち殺して来なかったかと...
中里介山 「大菩薩峠」
...駒井能登守が甲府を落ちた時は...
中里介山 「大菩薩峠」
...駒井能登守の手に救(たす)けられたことがある...
中里介山 「大菩薩峠」
...今は駒井能登の戸籍しらべだが...
中里介山 「大菩薩峠」
...この二人は大抵未刻(やつ)から申刻(ななつ)がらみの刻限に来るそうです」「丑松は――」「能登の国から三年前に来て...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...爰に看過すべからざることは眞宗が三十箇年許り東國に盛に流宣して後、暦仁頃からバツタリと其活動を停止したことである、最も之と同時に近江、美濃、越前、加賀、能登、越中等に於ける盛なる傳道が始まつたのであるから、眞宗が全く活動を止めた譯ではなく、唯關東に於てしたのを、方面を替へて中山道に北陸道に移したものと云ふことも出來る、然るに奇妙なことには、此眞宗が活動を停止した跡へ、同地方即東國に日蓮宗の興隆したことである、日蓮宗の興隆の爲めに眞宗が之を西に避けたのか、或は眞宗が西に向つた空虚に乘じて日蓮宗が傳播し得たのか、其邊はなほ詳に研究して見なければ分明せぬ...
原勝郎 「鎌倉時代の布教と當時の交通」
...山里丸(やまざとまる)の一加番が越前大野の土井能登守利忠(どゐのとのかみとしたゞ)...
森鴎外 「大塩平八郎」
...北陸では能登(のと)の七浦(しつら)村などでいうネンガラウチで...
柳田国男 「こども風土記」
...能登の半島では田の神は盲目だとも言う...
柳田国男 「年中行事覚書」
...大和には土佐とか能登とか...
柳田國男 「和州地名談」
...しかも海上を能登から越中へ向ふ船の甲板上から眺むるのが最も壯觀であると信じてゐる...
吉江喬松 「山岳美觀」
...たった今、丘に立って、八百年前を回顧していたぼくの幻想は、一足跳びに、現実の世界に舞い戻され、義経も範頼も、能登守教経も、敦盛(あつもり)も熊谷も、みなパチンコ機械の中をグルグル巡りまわる一個一個の玉みたいに、もんどりを打ち、転げまわり、そして何かひとりでおかしくなって来てたまらなかった...
吉川英治 「随筆 新平家」
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