...しかも仏王ルイ九世の正胤(せいいん)にして王位を践(ふ)むべき充分の権利と資格とを有せり...
内村鑑三 「基督信徒のなぐさめ」
...万一御落胤ときまった折には――何と申すか」一口茶を啜(すす)ると「大義親(しん)を滅(めっ)すとでもいうか...
直木三十五 「大岡越前の独立」
...落胤だと信じていい何の証拠も無かった...
直木三十五 「大岡越前の独立」
...あの乞食が大名の落(おと)し胤(だね)だったりした日にゃ...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...どうかしてあれが御落胤でないという事を確信したい...
浜尾四郎 「殺された天一坊」
...元久二年六月廿一日の條に牧御方請朝雅(去年爲畠山六郎被惡口)讒訴、被鬱胸之、可誅重忠父子之由、内々有計議、先遠州被仰此事於相州並式部烝時房主等、兩客被申云、重忠治承四年以來、專忠直間、右大將軍依鑒其志給、可奉護後胤之旨、被遺慇懃御詞者也、就中雖候于金吾將軍御方、能員合戰之時、參御方抽其忠、是併重御父子禮之故也(重忠者遠州聟也)而今以何憤可令叛逆哉、若被弃度々勳功、被加楚忽誅戮者、定可及後悔、糺犯否之眞僞之後、有其沙汰、不可停滯歟云々同廿三日の條にも相州被申云、重忠弟親類大略以在他所、相從于戰場之者、僅百餘輩也、然者企謀反事、已爲虚誕、若依讒訴逢誅戮歟、太以不便、斬首持來于陣頭、見之不忘年來合眼之眤、悲涙難禁云々とあり若此等の記述にして事實ならば、義時が重忠を以て忠孝節烈の士となしこれを敬愛しこれを辯護すること至れりといふべし...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...千葉胤秀編となっているが...
三上義夫 「文化史上より見たる日本の数学」
...太刀は佐野の余流赤堀家に伝う(蒲生佐野ともに秀郷の後胤(こういん)だ)...
南方熊楠 「十二支考」
...名は世胤(せいいん)...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...平田盛胤などという人は名家に葬式があると必ず頼まれて行き...
柳田国男 「故郷七十年」
...……御城代さまからどうしてもお許しが出ませんので」通胤ははっと息をのんだ...
山本周五郎 「城を守る者」
...頼胤にはかえすべき言葉がなかった...
山本周五郎 「新潮記」
...君の生家の近くに平田篤胤(ひらたあつたね)の生家がありそうな気がするが...
横光利一 「微笑」
...承知いたしたとお告げ下さい」「ありがとう存じます」胤栄は...
吉川英治 「剣の四君子」
...千葉貞胤が新田に付いて...
吉川英治 「私本太平記」
...胤正様のお出ましを待とうと...
吉川英治 「源頼朝」
...胤舜が自身で立合うなどという例はまずないというのである...
吉川英治 「宮本武蔵」
...先師胤栄から聞いたのですが...
吉川英治 「宮本武蔵」
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