...肥後国は熟語であり、日常会話で使われることはありません...
...相良氏は室町時代から江戸時代初期まで、肥後国(現在の熊本県)を治めていました...
...肥後国熊本の城主...
芥川龍之介 「忠義」
...其母の塚は肥後国求麻(くま)の人吉の城下より五六里ほど東...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...加藤忠広が罪あつて所領の肥後国を没収せられた...
薄田泣菫 「茶話」
...肥後国山鹿郡荒爪の山を蔽うと...
高木敏雄 「比較神話学」
...*日ならずして彼は原籍地(げんせきち)肥後国葦北郡水俣から戸籍を東京府北多摩郡千歳村字粕谷に移した...
徳冨健次郎 「みみずのたはこと」
...よそよりは早く咲く領地肥後国(ひごのくに)の花を見すてて...
森鴎外 「阿部一族」
...肥後国(ひごのくに)八代(やつしろ)の城下を引払いたる興津(おきつ)の一家は...
森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
...肥後国(ひごのくに)に入り...
森鴎外 「護持院原の敵討」
...継嗣問題とは当主順承(ゆきつぐ)が肥後国熊本の城主細川越中守斉護(なりもり)の子寛五郎(のぶごろう)承昭(つぐてる)を養おうとするに起った...
森鴎外 「渋江抽斎」
...この時肥後国熊本の城主細川越中守斉護(なりもり)の四子寛五郎(のぶごろう)は...
森鴎外 「渋江抽斎」
...勝秀はかつて肥後国熊本までもこの家の人々に伴われて往ったことがあるそうである...
森鴎外 「渋江抽斎」
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柳田国男 「海上の道」
...あるいは昔の地方官の別荘だなどという解釈も出たかも知れぬが(肥後国志は現にそういっている)...
柳田國男 「地名の研究」
...馬場という村に属している(肥後国志)...
柳田國男 「地名の研究」
...『肥後国誌』巻十三に採録した『響原(ひびきはら)合戦覚書』に相良(さがら)家の軍評定(いくさひょうじょう)のことを記して「いよいよ覚悟を究めたる籠城ならば...
柳田國男 「地名の研究」
...『肥後国誌』十二上益城(かみましき)郡東水越(ひがしみずこし)村の条には「この谷の奥に千束(せんぞく)牟田という大(でい)あり」ともある...
柳田國男 「地名の研究」
...ゆえをもってこれを九十九塚という云々(肥後国誌)...
柳田國男 「地名の研究」
...(肥後国志等...
柳田國男 「日本の伝説」
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