...肥後の千番豆腐はとても美味しいです...
...肥後国は熟語であり、日常会話で使われることはありません...
...相良氏は室町時代から江戸時代初期まで、肥後国(現在の熊本県)を治めていました...
...「今日各々から申し出た肥後の国守の儀は...
薄田泣菫 「茶話」
...彼が勅許(ちょっきょ)を経ずして米国仮条約に調印したるが如きは、開国に向って大歩急転したる偉業にして、彼が開国家としての功徳頌(しょう)すべきもの浅からずといえども、これ彼が自動的に然(しか)せしにあらず、従来の行懸(いきがか)りに迫られ、岩瀬肥後守、松平伊賀守の苦請に応じ、満腔徳川氏の威信を重んずるよりして、止(や)むを得ずここに至りしなり...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...「玉川およし」「誰ヶ袖音吉」「木津勘助」「難波戦記」「岩見重太郎」「肥後駒下駄」「崇禅寺馬場」といったような...
直木三十五 「大阪を歩く」
...二十五米友をなだめた道庵は、そこを一重下ってから、外を遠くながめて、「友様、見な、肥後の熊本が見えらあ」ここで、道庵が突然、肥後の熊本、と言い出したのは、何のよりどころに出でたのか、意表外でした...
中里介山 「大菩薩峠」
...肥後の熊本には川上彦斎(げんさい)...
中里介山 「大菩薩峠」
...肥後の熊本に川上彦斎(げんさい)...
中里介山 「大菩薩峠」
...光由は肥後侯細川忠利に聘せられて算術を教授したことがあり...
三上義夫 「和算の社会的・芸術的特性について」
...コックスが肥後か肥前の王五十万石を領すといえるは忠広なる事疑いなくこの人勇武なるのみならず外人に接する礼に閑(なら)い世辞目なき才物たりしと見ゆ...
南方熊楠 「十二支考」
...肥後五日町の古い榎(えのき)の空洞(ほら)に...
南方熊楠 「十二支考」
...大夫(たゆう)の監(げん)と言って肥後に聞こえた豪族があった...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...肥後国(ひごのくに)八代(やつしろ)の城下を引払いたる興津(おきつ)の一家は...
森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
...矢部川を溯って肥後に入った...
柳田国男 「故郷七十年」
...たとえば肥後玉名郡府本(ふもと)村...
柳田國男 「地名の研究」
...――肥後からこれまでの道中...
吉川英治 「私本太平記」
...――そこ北筑後から西肥後の山谷(さんこく)へ隠れてしまっては...
吉川英治 「私本太平記」
...菊池肥後守が脱走して逃げ...
吉川英治 「私本太平記」
...二十五の時肥後の加藤家から懇望されて...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...殊に小西行長の領地肥後では数多くの新設を見たのであったが...
和辻哲郎 「鎖国」
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