...またその氷羽州(ひばす)比賣の命が弟...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...東は奥州羽州へ隣(とな)る蒲原郡(かんばらごほり)岩船(いはふね)郡なり...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...それに次いでは東の幕下十枚目に羽州山(うしうざん)がゐる...
薄田泣菫 「茶話」
...彼は贔屓客に貰つた御祝儀のなかから幾らかを無雑作に包んで羽州山の前に出した...
薄田泣菫 「茶話」
...」羽州山は蟹のやうに顔をしかめて泣出しさうになつた...
薄田泣菫 「茶話」
...」羽州山は砂のへばり着いた掌面(てのひら)に三十円を鷲掴みにして...
薄田泣菫 「茶話」
...」羽州山はまた泣き出しさうな顔をして...
薄田泣菫 「茶話」
......
武田祐吉 「古事記」
...而して此等の僧侶が他宗に於けるが如く羽州に入るに越後よりせずして...
原勝郎 「鎌倉時代の布教と當時の交通」
...降って小野蘭山の『本草綱目啓蒙』には「奥州南部津軽、羽州秋田ニハ、至テ大ナルモノアリ、茎ノワタリ七寸、孔中ニ乾青魚二ツヲ入ルベク、葉ハ馬上ノ傘ニ用ベシト云、コレヲ南部ニテ十和田ブキト云、此根ヲ取ヨセ栽ルニ、初メハ大ナレドモ、年々変ジテ小クナルナリ」と出で、また曾槃の『成形図説』には「南部津軽松前及(マタ)は、蝦夷等に産(イデク)るはその花、鐘の大さに過ぎ、茎の周四五寸、葉の径三尺許りもて、傘に代て急雨を防ぐといふ...
牧野富太郎 「植物記」
...此岩緑青といへるものは羽州秋田阿仁の銅山等にて水緑青といへるもの有るが是ならんと思ふ也...
松浦武四郎 「他計甚※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-94-57](竹島)雜誌」
...羽州(うしゅう)羽黒山のふもとから出て来たというんでしてネ...
三上於菟吉 「雪之丞変化」
...羽州に存するは事実だとあった...
南方熊楠 「十二支考」
...羽州三春に産せりという(第四図)とあるが...
南方熊楠 「十二支考」
...羽州米沢の荻村では媒人が女の方に行きてその女を受け取り...
南方熊楠 「十二支考」
...夜九時頃羽州秋田近海へ碇泊...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...五畿内東山道 45%東海道 45関八州 30―40奥州 28羽州 40北陸道 54山陰道 32山陽道及南海道 55西海道 50―――――――――――――○ 42.4%これから古米食込高一二%を入れ戻せば...
森鴎外 「大塩平八郎」
...羽州(うしゅう)の酒田とが...
柳宗悦 「思い出す職人」
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