...正宗白鳥氏は「光秀と紹巴(せうは)」の中に「生活者」中の「生活者」だつた光秀に紹巴を嘲(あざけ)らせてゐる...
芥川龍之介 「文芸的な、余りに文芸的な」
...この二句は紹巴独吟千句中の二句を抜き出したのでありますが...
高浜虚子 「俳句とはどんなものか」
......
正岡子規 「古池の句の弁」
...連歌二百年の間僅(わずか)に鶯のもろ声に鳴く蛙かな 紹巴の一句あるのみ...
正岡子規 「古池の句の弁」
...足利氏と縁故深き連歌は足利氏の衰ふると共に衰へ、豊臣氏に至りて紹巴あり、僅にその命脈を保ちしも、太閤薨(こう)じ、紹巴没し、豊臣氏尋(つ)いで滅び、徳川氏政(まつりごと)を江戸に執るに及びて、連歌は僅にその形骸(けいがい)を保つに止まり、しかして松永貞徳の俳諧一派は漸(ようや)く世に拡まらんとす...
正岡子規 「古池の句の弁」
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正岡子規 「古池の句の弁」
...紹巴どのからお詫(わ)びおきして賜われと...
吉川英治 「新書太閤記」
...ここでは紹巴(じょうは)やその連れもひとつになり...
吉川英治 「新書太閤記」
...座敷の隅に、小机を抱えていた明智家の士、東(あずま)六右衛門が、「不束(ふつつか)ですが、主君のお申しつけ、もだし難く、私が認(したた)めまする」と、紹巴へ答えた...
吉川英治 「新書太閤記」
...紹巴は、如才(じょさい)ない調子で、「御謙遜でしょう、あなたのお筆ならば、勿体ない程のものです...
吉川英治 「新書太閤記」
...秀吉から吟味をうけた紹巴が...
吉川英治 「新書太閤記」
...また、光秀が、苦吟のうちに、粽(ちまき)の皮を剥(む)かずに口へ入れたとか、或いは、紹巴へ向って、(本能寺の堀は、浅きか深きか)と訊ねたところ、紹巴が、(あら勿体(もったい)なし)と答えたとか、いかにも真(まこと)しやかではあるが、これらも乱後の噂にすぎまい...
吉川英治 「新書太閤記」
...紹巴は光秀の寝室のすぐ隣に眠った...
吉川英治 「新書太閤記」
...紹巴のつぶやきにも何の返辞も返さずに――...
吉川英治 「新書太閤記」
...紹巴の訪れをしおに...
吉川英治 「新書太閤記」
...紹巴は、二条はまださかんに焼けているが、今暁の本能寺のすさまじい焔は御覧になったかと訊ねた...
吉川英治 「新書太閤記」
...あのような声で威嚇(いかく)しておりまする」「……そうか」道三はそばにいる紹巴へ...
吉川英治 「新書太閤記」
...それから間もなく紹巴が辞しかけると...
吉川英治 「新書太閤記」
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