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饗庭篁村 「木曾道中記」
...彼が粟津の敗死は既に彼が...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...而して其天下に馳鶩したるは木曾の挙兵より粟津の亡滅に至る...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...かくして粟津原頭の窮死...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...三四日粟津(あはづ)に滞在した...
芥川龍之介 「六の宮の姫君」
...翁が臨終(りんじゆう)の事は江州粟津の義仲寺にのこしたる榎本其角が芭蕉終焉記(しゆうえんき)に目前視るが如くに記(しる)せり...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...芭蕉五十二にして粟津の義仲寺に葬(はうむ)る時招(まねか)ざるに来る者三百余人...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...粟津(あはづ)が原の習々たる青嵐も今日のごとく電車の響のためにその自然の諧音を亂されなかつたであらう...
近松秋江 「湖光島影」
...「それ、これを見な、ここが逢坂山の大谷で、ここが大津だ、大津から粟津、瀬田の唐橋(からはし)を渡って草津、守山、野洲(やす)、近江八幡から安土、能登川、彦根、磨針(すりはり)峠を越えて、番場、醒(さめ)ヶ井(い)、柏原――それから左へ、海道筋をそれて見上げたところの、そらこの大きな山が胆吹山だ、つまり、これからこれまでの間を、お前に突破してみてもらいたいんだ」「そう致しますと、つまりこの逢坂山から出立して、湖水の南の岸をめぐって、胆吹山まで歩いてみろ、とおっしゃるんでございますな」「そうだ」不破の関守氏は、がんりきの百蔵に向って胆吹マラソンのコースをまず説明して置いて、それから使命の内容をおもむろに次の如く述べました...
中里介山 「大菩薩峠」
...雨近江路の秋田はろかに見はるかす彦根が城に雲の脚垂れぬ石山寺附近蜆とる舟おもしろき勢多川のしづけき水に秋雨ぞふる粟津秋雨に粟津野くれば葦の穗に湖靜かなり遠山は見えず逢阪を越えて山科村に至り...
長塚節 「長塚節歌集 中」
...誠に『太平記』の秀郷竜宮入りはこの粟津冠者の譚から出たのだ...
南方熊楠 「十二支考」
...「粟津原...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...例えば粟津(あわづ)村井(い)の口(くち)の弘法の池は...
柳田國男 「日本の伝説」
...やがて粟津(あわづ)の岸を占領してからは...
吉川英治 「私本太平記」
...やがて粟津(あわづ)で野たれ死に同様な最期をとげるなど――およそ武門のよい手本じゃ...
吉川英治 「新書太閤記」
...粟津(あわづ)の方へ進んでいた...
吉川英治 「新書太閤記」
...彼の粟津ヶ原の戦死の状は...
吉川英治 「随筆 新平家」
...志賀粟津(しがあわづ)の里も...
吉川英治 「鳴門秘帖」
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