...私や松篁にとっては写生...
上村松園 「画室談義」
...松篁(しょうこう)と嫁の多稔子(たねこ)と私と三人で稽古を続けている...
上村松園 「画道と女性」
...辺文進(へんぶんしん)の花鳥の側に二歳か三歳の松篁(しょうこう)が這い廻っていましたり...
上村松園 「座右第一品」
...うちの松篁は、私の顔を三味線だと言う...
上村松園 「三味線の胴」
...松篁は春になるまで待ちきれず...
上村松園 「棲霞軒雑記」
...松篁夫婦、それから孫も仕舞を習っているという工合で、一週に一度ずつは先生に来て頂いているという、まあ熱心さです...
上村松園 「無表情の表情」
...松篁は方々写生をしてあるいていました...
上村松園 「謡曲仕舞など」
...松篁の行った時にはまだ骨がところどころに残っていたそうであって...
上村松園 「余齢初旅」
...第二篇の饗庭篁村の『掘出し物』は丁度新店(しんみせ)の見世開(みせびら)きに隣家(となり)の老舗(しにせ)の番頭を傭(やと)って来たようなものであるが...
内田魯庵 「硯友社の勃興と道程」
...この早稲田本を早大に移る以前に抄録解説したのが饗庭篁村(あえばこうそん)氏の『馬琴日記抄』であって...
内田魯庵 「八犬伝談余」
...ただ落語家の燕枝(えんし)の弟子であったとか博徒(ばくと)の子分であったとか饗庭篁村(あえばこうそん)氏の書生であったとかいう事のみが伝えられていた...
高浜虚子 「子規居士と余」
...篁(たかむら)栄二郎が最後に残った...
久生十蘭 「地底獣国」
...篁は、太い眉のあたりを緊張させ、物を考えるときにいつもする腕あぐらを組みながら、一分ばかり考えていたが、やがて、たったひと言、「よし、やるべ!」と、いった...
久生十蘭 「地底獣国」
...此年九月朔(ついたち)に吉田篁(くわうとん)が歿した...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...篁と偕(とも)に金峨の門に出で...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...亦饗庭篁村(あへばくわうそん)さんの所蔵の中にある...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...作に露伴紅葉四迷篁村(こうそん)緑雨美妙等があって...
森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
...説文会には島田篁村(こうそん)も時々列席した...
森鴎外 「渋江抽斎」
便利!手書き漢字入力検索