...百姓は蜀麦(とうもころし)や稷(きび)のようなものが常食であり...
徳田秋声 「縮図」
...人の社稷(しゃしょく)を滅ぼし...
徳富蘇峰 「将来の日本」
...宮篇には后稷は禹の事業を繼いで農業を開いた樣に云うて居る...
内藤湖南 「禹貢製作の時代」
...即ち稷下に多く學者が集つた時代の思想と推測し得られるのである...
内藤湖南 「爾雅の新研究」
...曰はく禹稷皐陶三后佐唐虞、禹讓稷契及皐陶、堯舜之道、惟禹皐陶見而知之、此萬世所共聖、殷本紀述湯誥曰、古禹皐陶久勞於外、四涜已備、萬民乃有居、后稷降播農殖百穀、三公咸有功於民、故后有立、書序曰、皐陶矢厥謨、禹成厥功、帝舜申之、作大禹皐陶謨益稷、是三后自古論定、雖湯之興、不敢以契入三后而退皐陶也、乃甫刑忽易以伯夷降典折民爲刑、推爲三后、而皐陶不與、漢楊震孫賜遂以皐陶不與三后、恥拜廷尉之官、不知此甫刑之大繆也、堯時姜氏爲四伯、掌四嶽之祀、述諸侯之職、於周則有申甫齊許、(見高詩毛傳)國語史伯言姜爲伯夷之後、許爲大岳之胤、是甫侯之置皐陶進伯夷、代列三后者、私尊乃祖、假王命以寵先靈、穆王耄荒、誠哉其耄荒也、夫成天地之大功者、其子孫未嘗不淳耀惇大、唐虞夏商周而外、楚爲重黎祝融之後、贏爲伯益之後、而伯益實庭堅之子、禹薦益於天、孰謂大理官不列三后乎、史記秦之先始於大業、大業生大費、與禹平水土、大費佐舜調馴鳥獸、是爲柏翳、舜賜姓贏氏、索隱謂大業即皐陶、大費者伯益、即皐陶之子、又列女傳陶子生十五歳而佐禹、曹大家注、陶子即皐陶子伯益也、至皐陶之後、兼封英六、楚人滅六、臧文仲謂皐陶庭堅不祀忽諸者、猶周公之後自魯外、尚有凡蒋茅胙祭也、漢書古今人表只柏益一人、並無伯益柏翳分二人之説、甫侯自侈其家世、而天之所興、人力不與、伯夷姜氏之後、滅於陳田、卒不能與皐陶伯益爭衡、夫子以秦誓繼甫刑、知皐陶伯益之後、將繼稷契禹而代興也、惟王變而覇、道徳變而功利、此運會所趨、即祖宗亦不能聽其不自變、(書古微十一)魏源は禹稷皐陶を三后とすることが定論であるのに甫刑が皐陶を退けて伯夷を入れたのは不都合であると言ひ、それは穆王の時に甫侯が勝手なことをしたのだと論じてゐる...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...例へば支那の古代に於て、殷と周との開祖の傳説は、殷の方は契(せつ)の母が玄鳥の卵を墮すを拾つて食べたので姙娠し、契を生んだといふ話があり、周の祖后稷は、其母が野に出て巨人の足跡の拇を踏んで、其れに感じて姙娠して生れたと謂はれてゐて、各々別々の傳説であつたのであるが、後に其れが統一されて、后稷の母は帝の元妃、契の母は帝の次妃であるといふことになり、之を兄弟としてしまつた...
内藤湖南 「女眞種族の同源傳説」
...自分の志をついでこの社稷(しゃしょく)を守り通す人を見出して...
中里介山 「大菩薩峠」
...社稷(しゃしょく)が取返しのつかないことになる...
中里介山 「大菩薩峠」
...莚にひろげた小麦や稷や大麦が夥しく天日に乾してあつた...
ニコライ・ゴーゴリ Nikolai Vasilievitch Gogoli 平井肇訳 「ディカーニカ近郷夜話 後篇」
...稷(きび)の四袋...
ニコライ・ゴーゴリ Nikolai Vasilievitch Gogoli 平井肇訳 「ディカーニカ近郷夜話 前篇」
...社稷(シャショク)ノ暴ヲ未萌(ミホウ)ニ除キ...
吉川英治 「三国志」
...それみな一致して社稷(しゃしょく)を扶け...
吉川英治 「三国志」
...また社稷(しゃしょく)の人材を列記しては...
吉川英治 「三国志」
...「将軍は社稷(しゃしょく)の重臣...
吉川英治 「三国志」
...また藩祖よりは社稷を護る大任をおうけなされて...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...(大事!社稷(しゃしょく)の危機)と...
吉川英治 「無宿人国記」
...上杉家の社稷(しゃしょく)のために」あの...
吉川英治 「無宿人国記」
...子路曰く、民人あり、社稷あり、何ぞ必ずしも書を読みて、然して後学びたりと為さん...
和辻哲郎 「孔子」
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