...これが革命家といふ名を僭稱してゐる百人中九十九人の夢なのだ...
ピョートル・アレクセーヴィチ・クロポトキン Pyotr Alkseevich Kropotkin 大杉栄訳 「革命の研究」
...倭建(やまとたける)の御子一二と稱へまをさむ」とまをしき...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...血性赤誠の素ある正信が、正保元年を以て從五位下に叙せられ、上野介と稱し、出でて詰衆に列するに及び、仰いで主恩の大なるを思ひ、俯して父祖を辱かしめざらむと苦心せしこと、いかばかりぞや...
大町桂月 「宗吾靈堂」
...此地は傀儡子の魃首(かしら)小林六太夫と私稱して其徒居住す...
竹内勝太郎 「淡路人形座訪問」
...自郡至女王國萬二千餘里、男子無大小、皆黥面文身、自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫、夏后少康之子、封於會稽、斷髮文身、以避蛟龍之害、今倭水人、好沈沒捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽、後稍以爲飾、諸國文身各異、或左或右、或大或小、尊卑有差...
陳壽 「魏志倭人傳」
...侯は更に熟考の必要ありと稱して即諾を與ふるに躊躇したりき...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...伊藤公爵の幕下にも亦小伊藤と稱すべきものあらざるに...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...紙幣は唐代からして已に飛錢といつて、これを用ひたといふ事であるが、宋代に至りては其利用が非常に盛んで、これを交子、會子等と稱し、南宋時代は紙幣の發行高は非常の額に上り、其ために物價の變動も甚しかつた...
内藤湖南 「概括的唐宋時代觀」
...それから河内國の今は何處になりますか昔の高安郡に天照大神高座神社と稱するものがあります...
内藤湖南 「近畿地方に於ける神社」
...劉逢祿の書序述聞には謹案、孔子序周書四十篇、東周之書、惟文侯之命秦誓二篇而已、合而讀之、一爲孱弱之音、一爲發憤之氣、興亡之象昭昭也、春秋書晉人及姜戎敗秦於、公羊子曰、謂之秦、夷狄之也、詐戰書日盡也、穀梁子亦曰、徒亂人子女之教、無男女之別、秦之爲狄、自之戰始也、秦穆不用蹇叔百里子之謀、千里襲鄭、喪師遂盡、晉襄背殯用師、亦貶而稱人、序書何取焉、取其悔過之意、深美約、貽厥孫謀、將以覇繼王也、詩書皆由正而之變、詩四始言文武之盛、而終于商頌、志先王之亡以爲戒、書三科述二帝三王之業、而終於秦誓、志秦以狄道代周、以覇統繼帝王、變之極也、春秋撥亂反正、始元終麟、由極變而之正也、其爲致太平之正經、垂萬世之法戒、一也、と言ひ、又宋翔鳳の尚書譜には謹案、孔子序周書、自大誓訖※命、皆書之正經、以世次、以年紀、其末序蔡仲之命費誓呂刑文侯之命秦誓五篇者、幼嘗受其義於葆先生、曉畢、未能詳紀、犇走燕豫、留滯梁荊、函丈斯隔、七年於茲、茲譜尚書、細繹所聞而識之曰、尚書者述五帝三王五伯之事、蠻夷猾夏、王降爲覇、君子病之、時之所極、有無如何者也、蔡之建國、東臨淮徐、南近江漢、伯禽封魯、淮夷蠻貊、及彼南夷、莫不率從、不意蔡侯一虜、熊貲始大、楚之覇業、先於五邦、呂命穆王、實作自呂、征彼九伯、浸及齊桓、晉秦之興、復在其後、覇者之業、相循而作、帝王之統、由此一變、史伯之對鄭桓言秦晉齊楚代興、史之見秦獻言別五百載復合、運會所乘、惟聖賢能見其微、孔子序五篇於書之終、中候之文究於覇免、所以戒後王制蠻夷式羣侯、不可以不愼、と言つてゐる...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...歳歳稱臣爲弱倭...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...自ら卑彌呼と稱して魏使を受けたるも...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...皆同じことなり(中略)さて耳てふ尊稱の意は...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...稱して元の風俗を移したものだと云つて居る...
原勝郎 「鞦韆考」
...かかる多數主觀への還元をフッサールは間主觀的還元(intersubjektive Reduktion)と稱してゐる...
三木清 「認識論」
...紀州でサンヤレが專ら船饅頭の一名と成つたので本とサンヤレ織と同物異稱だつた奧縞を專ら市中にすむ淫賣女に宛るに及んだ物か...
南方熊楠 「女順禮」
...東清に至つて始めて五郎作と稱し...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...もつと自負してよい稱呼である...
吉川英治 「折々の記」
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