...それから小さい白壁の禹廟(うびょう)...
芥川龍之介 「雑信一束」
...禹徳淳 じゃあ、考えているって何を考えているんだ...
林不忘 「安重根」
...(禹徳淳を認めて)おう! 徳淳――!よろめいて禹徳淳の手を握る...
林不忘 「安重根」
...禹徳淳 (手を握り返して急(せ)き込む)行ってくれるか...
林不忘 「安重根」
...禹徳淳は鼾(いびき)を立てて熟睡し...
林不忘 「安重根」
...禹徳淳がむっとして何か言わんとする時...
林不忘 「安重根」
...おれはあいつを生かしておこう! 殺すと同じ意味で助けるのだ!言い終って禹徳淳を突き放し...
林不忘 「安重根」
...禹徳淳は驚愕して背ろへよろめく...
林不忘 「安重根」
...而るに禹貢が如何なる時代に於て作られたかといふことを先づ決めなければ...
内藤湖南 「禹貢製作の時代」
...その篇名を禹貢と稱することに由りても推察し得らるゝのである...
内藤湖南 「禹貢製作の時代」
...要するに禹貢とか周禮職方氏とかと相違のあるのは...
内藤湖南 「爾雅の新研究」
...古代に於て國土の開闢者として詩經若しくは書經の中に先づ出て來るのは夏の禹であります...
内藤湖南 「支那歴史的思想の起源」
...曰はく禹稷皐陶三后佐唐虞、禹讓稷契及皐陶、堯舜之道、惟禹皐陶見而知之、此萬世所共聖、殷本紀述湯誥曰、古禹皐陶久勞於外、四涜已備、萬民乃有居、后稷降播農殖百穀、三公咸有功於民、故后有立、書序曰、皐陶矢厥謨、禹成厥功、帝舜申之、作大禹皐陶謨益稷、是三后自古論定、雖湯之興、不敢以契入三后而退皐陶也、乃甫刑忽易以伯夷降典折民爲刑、推爲三后、而皐陶不與、漢楊震孫賜遂以皐陶不與三后、恥拜廷尉之官、不知此甫刑之大繆也、堯時姜氏爲四伯、掌四嶽之祀、述諸侯之職、於周則有申甫齊許、(見高詩毛傳)國語史伯言姜爲伯夷之後、許爲大岳之胤、是甫侯之置皐陶進伯夷、代列三后者、私尊乃祖、假王命以寵先靈、穆王耄荒、誠哉其耄荒也、夫成天地之大功者、其子孫未嘗不淳耀惇大、唐虞夏商周而外、楚爲重黎祝融之後、贏爲伯益之後、而伯益實庭堅之子、禹薦益於天、孰謂大理官不列三后乎、史記秦之先始於大業、大業生大費、與禹平水土、大費佐舜調馴鳥獸、是爲柏翳、舜賜姓贏氏、索隱謂大業即皐陶、大費者伯益、即皐陶之子、又列女傳陶子生十五歳而佐禹、曹大家注、陶子即皐陶子伯益也、至皐陶之後、兼封英六、楚人滅六、臧文仲謂皐陶庭堅不祀忽諸者、猶周公之後自魯外、尚有凡蒋茅胙祭也、漢書古今人表只柏益一人、並無伯益柏翳分二人之説、甫侯自侈其家世、而天之所興、人力不與、伯夷姜氏之後、滅於陳田、卒不能與皐陶伯益爭衡、夫子以秦誓繼甫刑、知皐陶伯益之後、將繼稷契禹而代興也、惟王變而覇、道徳變而功利、此運會所趨、即祖宗亦不能聽其不自變、(書古微十一)魏源は禹稷皐陶を三后とすることが定論であるのに甫刑が皐陶を退けて伯夷を入れたのは不都合であると言ひ、それは穆王の時に甫侯が勝手なことをしたのだと論じてゐる...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...禹稷皐陶を三后としたのは秦國へ入つた儒家の思想を表はしたまでゞある...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...而して此等の諸篇は皆大體に於て周書の大部分の如く或時の或事件を單純に記したものではなく、多くは長い間に亙つた事件の始末を編纂したものであり、而して其内容に立入ると、堯典、禹貢、洪範は一篇の中に幾多の異つた材料が混じてゐて、長い間に亙り變化した時代の思想を含んでゐるものなることがわかる...
内藤湖南 「尚書稽疑」
......
中島敦 「悟浄出世」
...次に履斗及び禹歩の術というものがあった...
中谷宇吉郎 「古代東洋への郷愁」
...禹の言葉を口に誦(しょう)し...
福田英子 「妾の半生涯」
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