...あるいは去来が平生湖水の水嵩を熟知していて、ある湖辺の石垣のこの辺まで水が来るようになったのは湖の水が増したのだと、事実を的確に目撃してこの句を作ったのだ、というような解釈も下せぬことはありませんが、しかしそれはむしろ近代的の解釈でありまして、元禄の去来は、ただぼんやりと広漠たる湖上に眺め入って、同時に降り続くこのごろの五月雨のことに案じ入って、「こう降ってはこの湖水の水も増すであろう」と考え、そう思って見るともう湖面の水が一尺も二尺も膨れ上がっているように感じられ、その時去来は、湖の水まさりけり五月雨というこの句を得たものであろう、とこう考えるのであります...
高浜虚子 「俳句の作りよう」
...貫禄(くわんろく)とでも...
太宰治 「火の鳥」
...年相応に貫禄(かんろく)のついた紳士で...
谷崎潤一郎 「細雪」
...他の藩々では幾等かに分って禄制を定めた所が多い...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
...元禄時代にあって俳諧をつくる者は皆名文家である...
永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
...改めて元禄小判といった一枚を手にしましたから...
中里介山 「大菩薩峠」
...か」家禄知行蔵米合わせて四十一石...
中里介山 「大菩薩峠」
...元禄が冷たくては大変だから...
夏目漱石 「吾輩は猫である」
...実隆の父は長禄四年に六十三歳をもって薨じたのであるが...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...元禄の佳句に至りては天明の及ぶ所にあらず...
正岡子規 「俳諧大要」
...京都の祇園に現存するものは元禄四年(一六九一)に長谷川鄰完なるものの奉納であり...
三上義夫 「芸術と数学及び科学」
...『俳諧二番鶏』元禄十五年印本了我撰...
南方熊楠 「十二支考」
...秩禄二百俵、役料二百俵、合計四百俵の収入があつたのに、屡財政に艱(なや)むことがあつたらしい...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...成善(しげよし)は等を降(くだ)され禄を減ぜられた後...
森鴎外 「渋江抽斎」
...南荘の方は元禄二年に南荘西村及び南荘東村の二つになり...
柳田國男 「地名の研究」
...愚痴を並べていてもしょうがねえ」銀太が先住民の貫禄(かんろく)をみせてこう云った...
山本周五郎 「長屋天一坊」
...――共に永禄元年正月生れの今年二十五歳だった...
吉川英治 「新書太閤記」
...玄渓は、元禄十三年、浅野家があの凶変を招いた前の年に、禄三百石で赤穂のお抱え医になったのである...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
便利!手書き漢字入力検索
この漢字は何でしょう??