...此地に引移つた永祿三年(一五六〇年)から沒落の承應三年(一六五四年)までは百年近くなるが...
石川三四郎 「浪」
...水上(みなかみ)さんの元祿長屋(げんろくながや)...
泉鏡太郎 「十六夜」
...通詞の食祿は尠い方ではなかつた...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...その鼻に一種の貫祿を持たせて...
豊島与志雄 「自由人」
...猶々些事に候へども種彦の祿高は寛政重修諸家譜にて判然候べく...
永井荷風 「荷風戰後日歴 第一」
...お寢みなさいまし」番頭の祿兵衞を顧(かへり)みて...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...何んとなく貫祿があつて...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...家祿を沒取された上...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...三萬七千石の大祿を食みましたが...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...祿高百五十石、何不足のねえ身分で、辻斬とは道樂過ぎるぢやありませんか」「あれは辻斬の本人ぢやないよ、八」「へエ――」平次はけろりとしてそんなことを言ふのです...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...大店(おほだな)の主人の貫祿は充分です...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...札差の手數料は祿高百俵について金壹分...
長谷川時雨 「花火と大川端」
...元祿三年に光圀は致仕し...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...此俸祿の事は先祖書の方には...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...玉ちやんに元祿袖の友禪めりんすを着せて...
森鴎外 「半日」
...上泉伊勢守や、塚原土佐守などが現はれた天文、永祿、元龜の戰國初期になると、もう武道は社會の一角面に確立し、それを奉ずる兵法者といふ專門家の地位も明らかに出來てゐたやうである...
吉川英治 「折々の記」
...桶挾間の合戰のあつた永祿元年の年...
吉川英治 「折々の記」
...働く者に當然與へられる天祿であり...
吉川英治 「折々の記」
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