...薄暗い磧(かわら)の方から今まで水浴をして居たらしく手拭(てぬぐ)いで身体を拭きながら歩いて来る男が居る...
梅崎春生 「日の果て」
...偉大なる玉川の砂磧を見下ろして...
大町桂月 「東京の近郊」
...どんなに乾いた磧(かはら)にも...
薄田泣菫 「石竹」
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高浜虚子 「俳句とはどんなものか」
...思わぬ所でこの恐ろしい「死骸の磧(かわら)」を見なければならなかったのである...
寺田寅彦 「柿の種」
...玉川の磧では工兵が架橋演習をやつて居た...
寺田寅彦 「寫生紀行」
...夏が来ると南磧(みなみがわら)に納涼場が開かれて...
寺田寅彦 「涼味数題」
...この磧の涼味にはやはり母の慈愛が加味されていたようである...
寺田寅彦 「涼味数題」
...磧(かわら)の方へ小走りに歩み出した...
直木三十五 「南国太平記」
...四条磧(しじょうがわら)で九条家の島田左近(さこん)を斬ったのも...
中里介山 「大菩薩峠」
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野口雨情 「都会と田園」
...未磧(みせき)なんてのは?」それは當時聞えた名人です...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...市街(まち)はづれの静かな磧に向つて建てられてゐた...
萩原朔太郎 「月に吠える」
...まるでごんどう鯨でも扱うように襟を掴んでズルズルと磧(かわら)へ引きあげる...
久生十蘭 「顎十郎捕物帳」
...こんな磧に男一人女一人...
久生十蘭 「顎十郎捕物帳」
...わざと放しに行くように見せて磧(かわら)へなど行って遊んでいた...
室生犀星 「幼年時代」
...――昨夜(ゆうべ)あたり、五条の近くまで、用たしに出ると、磧(かわら)に、斬られたか、飢え死にしている死骸の着ている衣(もの)を、あさましや、野武士か、菰僧(こもそう)か、ようわかりませぬが、二、三人して、あばき合って、果ては掴(つか)みかかって争っているではございませんか...
吉川英治 「親鸞」
...三条磧(さんじょうがわら)の水明りが眼の前にあった...
吉川英治 「親鸞」
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