...そして私が心の中に描いている理想的な演出、もしくは完成されつくした演技指導の型といったようなものの特色は、著しく静かでほとんど無為に似た形式をとりながら、その実、当事者間には激しい精神の交渉、切磋、琢磨がつづけられ、無言のうちに指導効果が刻々上昇して行くといった形において想像される...
伊丹万作 「演技指導論草案」
...壮志磋跌(さてつ)...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...互に切磋(せっさ)...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...求めて詩友と交って切磋琢磨(せっさたくま)に努めたりすることをしなかった...
中島敦 「山月記」
...切磋骨を刻むが如き努力の成果と...
久生十蘭 「魔都」
...弱冠ニシテ至芸、切磋一家ヲ成ス...
夢野久作 「梅津只圓翁伝」
...みな切磋琢磨(せっさたくま)...
吉川英治 「親鸞」
...じゃあ……あなたは水戸の」「拙者は海後磋磯之介(かいごさきのすけ)という者...
吉川英治 「旗岡巡査」
...磋磯之介は、足を戻して、「――お松っちゃん」と呼んだ...
吉川英治 「旗岡巡査」
...海後磋磯之介(かいごさきのすけ)の眼には...
吉川英治 「旗岡巡査」
...海後磋磯之介(さきのすけ)の実兄であった...
吉川英治 「旗岡巡査」
...御舎弟の磋磯之介様が...
吉川英治 「旗岡巡査」
...磋磯之介はもう二タ月も前から...
吉川英治 「旗岡巡査」
...――けれど磋磯之介の胸にはここを去るとなると...
吉川英治 「旗岡巡査」
...「御辛労をかけまする」磋磯之介(さきのすけ)は...
吉川英治 「旗岡巡査」
...わしの顔を覚えている人間がいるとみえる」四自分でさえもう他人の名のような気のしている海後磋磯之介(さきのすけ)という姓名なのだ...
吉川英治 「旗岡巡査」
...それにまた、磋磯之介は、烏山(からすやま)を去ってから、越後に隠れ、後にまた、常州の湊(みなと)の戦乱に参加して、ほとんど、世人の思い出しそうな所には、一日も身を置いていなかったせいもある...
吉川英治 「旗岡巡査」
...磋(さ)するが如く...
和辻哲郎 「孔子」
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