...日本人は画の理解があればあるほど狩野(かのう)派とか四条派とか南宗とか北宗とかの在来の各派の画風に規矩(きく)され...
内田魯庵 「淡島椿岳」
...世間の規矩(きく)を超越した...
薄田泣菫 「独楽園」
...しかも決して貧乏にならない人間――もしかつて夢想されたようにそういう人間がはたしているものならば――そういう強くたくましい性質の者にわたしは規矩を押しつけようとする気はない...
ソーロー Henry David Thoreau 神吉三郎訳 「森の生活――ウォールデン――」
...」矩子は硬直したような顔をあげて...
豊島与志雄 「父の形見」
...柳生宗矩(むねのり)殿の弟子として...
直木三十五 「寛永武道鑑」
...三右衛門矩之が嗣(つ)いだ頃から世に聞え始めた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...是より先三十三年一月五日に矩之は歿したのである...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...去年再び来た宇津木矩之允(うつぎのりのすけ)と云ふものがある...
森鴎外 「大塩平八郎」
...宗矩、そちも、よう心を定めておろうな」「はい」宗矩は、明確に答えたが、身に過ぎた大任を、果たして充分に勤められるかどうか、さすがにやや不安ないろを面(おもて)にかくしきれなかった...
吉川英治 「剣の四君子」
...馬を降りた宗矩のすがたを見ると...
吉川英治 「剣の四君子」
...「……宗矩、何しに来た」やがて老父が四年ぶりの子に対して、初めて云ったことばは、その一語だった...
吉川英治 「剣の四君子」
...陽なたの竹か」宗矩(むねのり)は恥じた...
吉川英治 「剣の四君子」
...宗矩には格式のある権門から輿入(こしいれ)している妻室があった...
吉川英治 「宮本武蔵」
...ただ今早馬のお使いが到着いたしました」三「――早馬?」宗矩は...
吉川英治 「宮本武蔵」
...やがてはいって来た柳生宗矩(むねのり)と武蔵とは...
吉川英治 「宮本武蔵」
...又右衛門宗矩でござる...
吉川英治 「宮本武蔵」
...だが次男友矩は、家光の寵童(ちょうどう)となって、柳営の小姓組に上がっている...
吉川英治 「柳生月影抄」
...友矩(とものり)はそのまま客書院へ通って...
吉川英治 「柳生月影抄」
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