...庚寅一月二十二日、喜篁村南翠二君見過墨水弊荘、篁村君文思敏澹、世称為西鶴再生、而余素愛曲亭才学、故前聯及之、巨細相兼不並侵、審論始識適幽襟、鶴翁才気元天性、琴叟文章見苦心、戯諷人豈云浅、悲歌寓意一何深、梅花香底伝佳話、只少黄昏春月臨まことに此時(このとき)、日(ひ)も麗(うら)らかに風(かぜ)和(やは)らかく梅(うめ)の花、軒(のき)に匂(かんば)しく鶯(うぐひす)の声いと楽しげなるに、室(しつ)を隔(へだ)てゝ掻(か)きならす爪音(つまおと)、いにしへの物語ぶみ、そのまゝの趣(おもむき)ありて身も心も清(きよ)く覚(おぼ)えたり、此(こ)の帰るさ、またもとの俗骨(ぞくこつ)にかへり、我(われ)も詩を作る事(こと)を知りたるならば、拙(へた)ながらも和韻(わゐん)と出かけて、先生を驚(おどろ)かしたらんものをと負(まけ)じ魂(だましひ)、人羨(うらや)み、出来(でき)ぬ事(こと)をコヂつけたがる持前(もちまへ)の道楽(だうらく)発(おこ)りて、其夜(そのよ)は詩集(ししふ)など出(いだ)して読みしは、我(われ)ながら止所(とめどころ)のなき移気(うつりぎ)や、夫(それ)も其夜(そのよ)の夢だけにて、翌朝(よくあさ)はまた他事(ほかのこと)に心移(こゝろうつ)りて、忘(わす)れて年月(としつき)を経(へ)たりしが、梅(うめ)の花の咲(さ)くを見ては毎年(まいとし)、此日(このひ)の会(くわい)の雅(みやび)なりしを思(おも)ひ出(だ)して、詩を作らう、詩を作らう、和韻(わゐん)に人を驚(おどろ)かしたいものと悶(もだ)へしが、一心(いつしん)凝(こ)つては不思議(ふしぎ)の感応(かんおう)もあるものにて、近日(きんじつ)突然(とつぜん)として左(さ)の一詩(し)を得(え)たり、往年同須藤南翠、訪依田学海君上村荘、酒間、君賦一律見贈、今巳四年矣、昨雨窓無聊偶念及之、即和韻一律、録以供一笑之資云、村荘不見一塵侵、最好清談披素襟、游戯文章猶寓意、吟嘲花月豈無心、新声北部才情婉、往事南朝感慨深、我亦多年同臭味、待君載筆屡相臨、ナント異(おつ)に出来(でか)したでは厶(ござ)らぬか、此詩(このし)を懐中(くわいちう)したれば、門(もん)を叩(たゝ)いて驚(おどろ)かし申(まを)さんかとは思ひしが、夢中(むちう)感得(かんとく)の詩(し)なれば、何時(いつ)何処(どこ)にても、またやらかすと云(い)ふ訳(わけ)には行(ゆ)かず、コレハ/\よく作られたと賞揚(しやうやう)一番(ばん)、その後(あと)で新詩(しんし)を一律(いちりつ)また贈(おく)られては、再(ふたゝ)び胸に山を築(きづ)く、こゝは大(おほき)に考(かんが)へもの、面(まのあた)り捧(さゝ)げずに遠く紙上(しじやう)で吹聴(ふいちやう)せば、先生髯(ひげ)を握(にぎ)りながら、フムと感心のコナシありて、此子(このこ)なか/\話せるワエと、忽(たちま)ち詩箋(しせん)に龍蛇(りうだ)はしり、郵便箱(いうびんばこ)に金玉(きんぎよく)の響(ひゞき)ある事(こと)になるとも、我(われ)また其夜(そのよ)の思寝(おもひね)に和韻(わゐん)の一詩(し)をすら/\と感得(かんとく)して、先生のみか世人(よのひと)を驚(おどろ)かすも安(やす)かるべしと、門外(もんぐわい)に躊躇(ちうちよ)してつひに入(い)らず、道(みち)引(ひき)かへて百花園(くわゑん)へと赴(おもむ)きぬ、新(しん)梅屋敷(うめやしき)百花園(くわゑん)は梅の盛(さか)りなり、御大祭日(ごたいさいび)なれば群集(ぐんしふ)も其筈(そのはず)の事(こと)ながら、是(これ)はまた格別(かくべつ)の賑(にぎ)はひ、郡司大尉(ぐんじたいゐ)の壮行(さうかう)をまのあたり見て、子や孫(まご)に語(かた)りて教草(をしへぐさ)にせんと、送別(さうべつ)の外(ほか)の遊人(いうじん)も多くして、帰(かへ)さは(つゑ)を此(こゝ)に曳(ひ)きしも少(すくな)からで、また一倍(いちばい)の賑(にぎ)はひはありしならん、一人(にん)志(こゝろざ)しを立(たて)て国家(こくか)の為(ため)に其身(そのみ)をいたせば、満都(まんと)の人(ひと)皆(み)な動かされて梅の花さへ余栄(よえい)を得(え)たり、人は世に響(ひゞ)き渡(わた)るほどの善事(よきこと)を為(な)したきものなり、人は世に効益(かうえき)を与(あた)ふる大人君子(たいじんくんし)に向(むか)ひては、直接の関係はなくとも、斯(か)く間接の感化(かんくわ)をうくるものなれば、尊敬の意をうしなふまじきものなりなど、花は見ずして俯向(うつむき)ながら庭を巡(めぐ)るに、斯(か)く花園(はなぞの)を開(ひら)きて、人の心を楽(たのし)ます園主(ゑんしゆ)の功徳(くどく)、わづかの茶代(ちやだい)に換(か)へ得(え)らるゝものならず、此園(このゑん)はそもいかにして誰(だれ)が開きしぞ...
饗庭篁村 「隅田の春」
...渠(かれ)飢えたり矣...
泉鏡花 「海異記」
...ああ万事休す矣...
海野十三 「棺桶の花嫁」
...劉晨阮璧入二天台一採レ薬、不レ得レ返経二十三日一飢遥望二山上有二桃樹一、(中略)二数枝一飢止体充欲二下レ山以レ杯取一レ水見二蕪青葉流下一、甚蘇妍、復有二一杯流下一、有二胡麻飯一、焉、乃相謂曰、此近レ人矣、遂渡レ江出二一大渓一、渓邊有二二女子一、色甚美、見二二人持一レ盃笑曰、劉阮二郎、捉二向杯一、求、劉阮驚、二女遂忻然如二旧識一、曰来何晩耶、因邀還レ家、西壁東壁、各有二絳羅帳一、帳角懸レ鈴、上有二金銀一交錯、各有二数侍婢一、使レ令、其饌有二胡麻飯一、山羊脯牛肉、其美、食畢行レ酒俄有二群女一、持二桃子一笑曰、賀二汝婿来一、酒酣作レ楽夜後各就二一帳一宿、婉態殊絶、至二十日一求レ還、苦留半年、気候草木、常是春時、百鳥啼鳴、更懐レ故郷、帰思甚苦、女遂相送示二帰路一郷邑零落、已十世矣、浦島の玉匣箱は、長生不老の呪力を籠めたるものにして、こは呪力信仰の説話に見えたる一例として、観察す可き者なり...
高木敏雄 「比較神話学」
...夫子既取入大雅矣...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...信ズベシ矣...
永井荷風 「小説作法」
...兵一名!嗟矣(ああ)彼(あ)の犬のようなものだな...
ガールシン 二葉亭四迷訳 「四日間」
...しゃれたり矣...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...造営までなかなか手が届かぬを定規(ていき)に背くとて無理に合祀するは苛刻(かこく)もはなはだし矣...
南方熊楠 「神社合祀に関する意見」
...(Ellis,‘Studies in the Psychology of Sex’ vol., 138 Phila., 1927)之を聽た記事は、先づ、日本靈異記中に、聖武天皇の御世、大和國十市郡菴地村の大富人鏡作連の女、萬之子てふ美人が人に嫁ぐ、其夜閨内有レ音而言二痛哉一三遍、父母聞レ之、相談曰、未レ效而痛、忍猶寐矣、明曉其女の母、戸を叩けど答へず、開きみれば、頭と一指の外はみな食れ有たと出づ...
南方熊楠 「蓮の花開く音を聽く事」
...鎌倉之遊得遂矣...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...未嘗不愴然悲苗而不秀矣...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...)疑未得其詳矣...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...故友伊沢蘭軒嘗擬招親交中高年者、設尚歯之宴、未果而歿、狩谷斎在其数中、而亦尋物故矣、今茲天保丙申秋九月十日、賢嗣朴甫設宴召集、蓋終其先志也、余亦与之、座間賦一律、似朴甫及斎後之少卿...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...爾今饑者福矣、以爾將得飽也...
森鴎外 「古い手帳から」
...我安適歸矣...
箭内亙訳註 「國譯史記列傳」
...――われこの土に生れたり矣...
吉川英治 「三国志」
...みじか夜の残夢なお深し矣――秀吉方の要塞帯中核――中川瀬兵衛が守るところの大岩山の内も...
吉川英治 「新書太閤記」
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