...山田家の歓迎も一通りでなく、主人は紋服袴穿(はかまば)きで大玄関に出迎え、直ちに書院に案内して、先ず三宝に熨斗(のし)を載せて出して、着到を祝し、それから庄屋格だけを次の間に並列さして、改めてお目通りという様な形式に囚(とら)われた挨拶(あいさつ)の後、膳部なども山中とは思われぬ珍味ぞろい...
江見水蔭 「丹那山の怪」
...二月朔日(ついたち)までに諸役人共悉(こと/″\)く伏見へ着到するように国々へ廻文を出させたので...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...おみは今頃漸(ようや)く着到か」いわでものことをと...
長谷川伸 「討たせてやらぬ敵討」
...一月二日(火曜)松の内は九時半着到十時開演...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...入口の着到板の名札を皆外し...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...一番にはせ参じ着到(ちゃくとう)につき...
山本周五郎 「樅ノ木は残った」
...かたのごとく侍所(さむらいどころ)ノ別当(べっとう)へ着到を告げ...
吉川英治 「私本太平記」
...ちょうど正成が東門を出てきたとき、正季の着到が、彼からこれへつたえられた...
吉川英治 「私本太平記」
...五月十一日 着到和泉党 百四十六人金剛寺僧 九人散所衆 四十五人十三日深夜備前国ヨリ帰参ノ衆島々ノ海上衆合セテ二百二十人十四日吉野郷士...
吉川英治 「私本太平記」
...また元弘三年正月の“現地着到帳”の上では...
吉川英治 「私本太平記」
...「このところ諸国の武門も、ぞくぞく入洛中のよしですが、武家の着到は、すべて一(いち)おう六波羅奉行へ届け出る掟(おきて)とか...
吉川英治 「私本太平記」
...六波羅から着到の証判をうけ...
吉川英治 「私本太平記」
...「きのう今日の軍兵の着到を見せい」と...
吉川英治 「私本太平記」
...剣道部(けんどうぶ)の着到順(ちゃくとうじゅん)は...
吉川英治 「神州天馬侠」
...参陣者の姓名を着到帳(ちゃくとうちょう)に記させた...
吉川英治 「新書太閤記」
...着到帳に記された姓名は一万余にのぼった...
吉川英治 「新書太閤記」
...勝龍寺、洞ヶ嶺、淀なども合わせて――」光秀が左右に質(ただ)すと、祐筆は着到帳と、亀山以来の譜代(ふだい)の者と合算し、また安土、坂本その他、遠くに散在してある兵力とを差引いて、次のように書き出して、光秀へ示した...
吉川英治 「新書太閤記」
...そして太政官に、着到をとどけ、しばらく、彼は街の旅舎に泊っていた...
吉川英治 「平の将門」
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