...山田家の歓迎も一通りでなく、主人は紋服袴穿(はかまば)きで大玄関に出迎え、直ちに書院に案内して、先ず三宝に熨斗(のし)を載せて出して、着到を祝し、それから庄屋格だけを次の間に並列さして、改めてお目通りという様な形式に囚(とら)われた挨拶(あいさつ)の後、膳部なども山中とは思われぬ珍味ぞろい...
江見水蔭 「丹那山の怪」
...二月朔日(ついたち)までに諸役人共悉(こと/″\)く伏見へ着到するように国々へ廻文を出させたので...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...きらをかざり美々しき行列をしたがえて引きもきらずに御ちゃくとう(着到)なされますので...
谷崎潤一郎 「盲目物語」
...着到洩れはござんすまいな」「ええ...
中里介山 「大菩薩峠」
...おみは今頃漸(ようや)く着到か」いわでものことをと...
長谷川伸 「討たせてやらぬ敵討」
...着到順から申せば皆後じゃ」「なに...
長谷川伸 「討たせてやらぬ敵討」
...着到時間キチ/\でないと入らぬ役者多し...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...和歌山県の神主の総取締りする人が新聞で公言せしは、神社は正殿、神庫、幣殿、拝殿、着到殿、舞殿、神餐殿、御饌殿、御炊殿、盛殿、斎館、祓殿、祝詞屋(のつとや)、直殿、宿直所、厩屋、権殿、遙拝所の十八建築なければ設備全しと言うべからずとて、いかに神林大いに茂り四辺神さびたる神社を見るも、設備足らずとてこれを滅却す...
南方熊楠 「神社合祀に関する意見」
...波止場に臨んで檢番といふものが在り之へ着到をつけて札を貰ひ...
柳田國男 「瀬戸内海の島々」
...かたのごとく侍所(さむらいどころ)ノ別当(べっとう)へ着到を告げ...
吉川英治 「私本太平記」
...五月十一日 着到和泉党 百四十六人金剛寺僧 九人散所衆 四十五人十三日深夜備前国ヨリ帰参ノ衆島々ノ海上衆合セテ二百二十人十四日吉野郷士...
吉川英治 「私本太平記」
...「このところ諸国の武門も、ぞくぞく入洛中のよしですが、武家の着到は、すべて一(いち)おう六波羅奉行へ届け出る掟(おきて)とか...
吉川英治 「私本太平記」
...すでに忠顕から宮中へは「義貞着到」の届けや拝謁の手続きなどが執(と)られてあった...
吉川英治 「私本太平記」
...六波羅から着到の証判をうけ...
吉川英治 「私本太平記」
...着到の届け出でにおよばれましたが...
吉川英治 「私本太平記」
...剣道部(けんどうぶ)の着到順(ちゃくとうじゅん)は...
吉川英治 「神州天馬侠」
...着到(ちゃくとう)の将士は...
吉川英治 「新書太閤記」
...そして太政官に、着到をとどけ、しばらく、彼は街の旅舎に泊っていた...
吉川英治 「平の将門」
便利!手書き漢字入力検索