...新嘗屋(にひなへや)九に 生ひ立(だ)てる百足(だ)る一〇槻(つき)が枝(え)は...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...此事百余年前までは江戸にもありしが...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...五百文の遺産をのこして大往生をした...
太宰治 「ロマネスク」
...皆百斤(きん)の重さのあるものであった...
蒲松齢 田中貢太郎訳 「汪士秀」
...がんりきの百蔵の変形であること申すまでもありません...
中里介山 「大菩薩峠」
...五百人は大丈夫だな...
中里介山 「大菩薩峠」
...すでに二百年の昔のことです...
中里介山 「大菩薩峠」
...「退潮(エッブ・タイド)」百一頁迄漸く辿(たど)りつく...
中島敦 「光と風と夢」
...二三百年も經つた樹だらうが」平次は自分のことのやうに眉を顰(ひそ)めました...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...しかし大體(だいたい)日本(につぽん)の欽明天皇前後(きんめいてんのうぜんご)(今(いま)から千四百年(せんしひやくねん)ほど前(まへ))の古墳(こふん)と思(おも)はれます...
濱田青陵 「博物館」
...それより五百年ばかり後支那で出来た『笑林広記』に...
南方熊楠 「十二支考」
...黒いタイプライターのようなものが三列に百でもきかないくらい並んで...
宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
...海抜二千八百尺のところでも...
宮本百合子 「獄中への手紙」
...小判で七百両の金を...
吉川英治 「魚紋」
...私が百万と申しあげたのは、この国の方々が、曹操の実力百五、六十万もありといったら驚かれて気も萎(な)えてしまうであろうと、わざと少なく評価してお答えいたしたのです」「それにのぞむ帷幕(いばく)の大将は」「良将二、三千人...
吉川英治 「三国志」
...また、そこより少し東に、冠山(かむりやま)の城があり、これには林重真(しげざね)が守備をなし、兵数は三百五、六十と見れば間違いのないところでしょう」「して、高松の主城には」「平常、ここには、やはり六、七百の兵力しかなかったのですが、毛利方の末近(すえちか)左衛門が、約二千の兵をひきつれて来援し、城下の農民女子老幼を悉(ことごと)く収容しておりますので、頭数にすれば五千から六千人のあいだかと考えられます」「そうか...
吉川英治 「新書太閤記」
...ご主人の五百之進殿(いおのしんどの)は」「その旦那様は...
吉川英治 「牢獄の花嫁」
...ベラ・クルスには兵百五十名騎士二名が守備隊として残った...
和辻哲郎 「鎖国」
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