...大沢から畠山、岩茸岩、野口と、長蛇の列はえんえんと続いた...
石川欣一 「針の木のいけにえ」
...畠山の小屋まで三里...
石川欣一 「山を思う」
...そこへ栃木県の畠山保安課長が馳けつけて説諭の弁を弄したが「貴方がたは...
大鹿卓 「渡良瀬川」
...と言つて畠山御一族討伐に参加なされたとかいふお話でございます...
太宰治 「右大臣実朝」
...将軍家はその折すこしく御酒気だつたのでございますが、宗政さまがお首をひつさげて御参着の事をちらと小耳にはさんで御眉をひそめられ、殺せとは誰の言ひつけ、畠山重忠は、このたびの和田左衛門尉とひとしく、もともと罪なくして誅せられたる幕府の忠臣、その末子がいささか恨みを含んで陰謀をたくらんだとて、何事か有らんや、よつて先づ其身を生虜らしめ、重慶より親しく事情を聴取いたし、しかるのちに沙汰あるべきを、いきなり殺して首をひつさげて帰るとは、なんたる粗忽者、神仏も怒り給はん、出仕をさしとめるやう、と案外の御気色で仲兼さまに仰せつけに相成り、仲兼さまはそのお叱りのお言葉をそのまま宗政さまにお伝へ申しましたところが、宗政さまは、きりりと眦を決し、おそれながら、たはけたお言葉、かの法師を生虜り召連れまゐるは最も易き事なりしかど、すでに叛逆の証拠歴然、もしこの者を生虜つて鎌倉に連れ帰らば、もろもろの女房、比丘尼なんど高尚の憂ひ顔にて御宥免を願ひ出づるは必定、将軍家に於いても、ただちにれいの御慈悲とやらのお心を用ゐてかかる女性の出しやばりの歎願を御聴許なさるは、もはや疑ひも無きところ、かくては謀逆もさしたる重き犯罪にあらず、ひいては幕府の前途も危ふからんかと推量仕つて、かくの如くその場を去らしめず天誅を加へてまゐりましたのに、お叱りとは、なあんだ、こんなふうでは今後、身命を捨て忠節を尽す者が幕府にひとりもゐなくなります、ばかばかしいにも程がある、そもそも当将軍家は、故右大将家の質素を旨とし武備を重んじ、勇士を愛し給ひし御気風には似もやらず、やれお花見、やれお月見、女房どもにとりまかれ、あさはかのお世辞に酔ひしれて和歌が大の御自慢とはまた笑止の沙汰、没収の地は勲功の族に当てられず、多く以て美人に賜はる、たとへば、榛谷四郎重朝の遺跡を五条の局にたまはり、中山四郎重政の跡を以て、下総の局にたまはるとは、恥づかし、恥づかし、いまにみるみる武芸は廃れ、異形の風流武者のみ氾濫し、真の勇士は全く影をひそめる事必至なり、御気色を蒙り、出仕をさしとめられて、かへつて心がせいせい致しました、と日頃の鬱憤をここぞと口汚く吐きちらし、肩をゆすつて御退出なさいましたさうで、お部屋が離れてゐるとはいへ、たいへんな蛮声でございましたから、将軍家のお耳元にも響かぬ筈はなく、お傍の私たちはひとしく座にゐたたまらぬ思ひではらはら致して居りましたが、さすがに将軍家の御度量は非凡でございました...
太宰治 「右大臣実朝」
...大番所(おおばんじょ)に詰めている畠山六郎(はたけやまろくろう)を内密に呼ばした...
田中貢太郎 「頼朝の最後」
...かういふ事は眞言宗の大學の教授をして居られる畠山八洲先生などがよく御承知でありますが...
内藤湖南 「弘法大師の文藝」
...同分科会の幹事畠山久尚博士が...
中谷宇吉郎 「国際雪氷委員会のことなど」
...畠山古瓶(はたけやまこへい)...
松崎天民 「友人一家の死」
...そこに畠山重忠の館趾の梅林というのを見たときの土産...
宮本百合子 「獄中への手紙」
...ワキの畠山重忠が前記梅津昌吉氏であった...
夢野久作 「梅津只圓翁伝」
...すでに、直義(ただよし)だの、高(こう)ノ師泰(もろやす)、師重(もろしげ)、南遠江守、畠山阿波守、細川顕氏(あきうじ)などは、先にべつな所から上がっており、尊氏は執事の師直(もろなお)、仁木、石堂、上杉、吉良などの幕将をつれて、陸に立った...
吉川英治 「私本太平記」
...河内の石川城にいる同族の畠山国清の許にかくれ...
吉川英治 「私本太平記」
...それあるを予期していた畠山国清...
吉川英治 「私本太平記」
...さらには越後の流刑先で横死(おうし)した畠山直宗や上杉重能の家来どももいることです...
吉川英治 「私本太平記」
...畠山など並居る人々の顔こそかえってはっと変った...
吉川英治 「源頼朝」
...畠山重忠であった...
吉川英治 「源頼朝」
...畠山氏の継嗣問題に絡んだ被官人の間の戦争が山城で行われ...
和辻哲郎 「鎖国」
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