...天の瓊矛の滴りによりて...
高木敏雄 「比較神話学」
...瓊矛もて國探らせる...
長塚節 「長塚節歌集 上」
...だが、この瓊子も、二十五歳で世を辞した...
野村胡堂 「胡堂百話」
...その後には肩に羽のある神様が天(あめ)の瓊矛(ぬぼこ)とでもいひさうな剣を提(さ)げて立つて居る...
正岡子規 「墨汁一滴」
...法諡(はふし)は貞寿院瓊林晃珠(けいりんくわうじゆ)禅尼である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...三百里余瓊浦道...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...瓊浦山環海似盤...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...瓊宵の三女神を娘娘と云ふので...
與謝野寛・與謝野晶子 「満蒙遊記」
...烏巣の穀倉守備隊長淳于瓊(じゅんうけい)は...
吉川英治 「三国志」
...そこへ淳于瓊(じゅんうけい)が...
吉川英治 「三国志」
...「新葉和歌集(しんようわかしゅう)」には、このお妹へ、兄なる尊良(たかなが)の皇子から、――元弘の初め、世の乱れ侍(はべ)りしに思ひわび、様など変へけるよし聞いて、瓊子(たまこ)内親王へ申しつかはしけると題して、いかでなほ我れも浮世にそむきなむ羨(うらや)ましきはすみ染めの袖と、贈られたのに対し、瓊子からは、その返歌(かえし)に、君はなほ背(そむ)きな果てそとにかくに定めなき世のさだめ無ければと、こたえられた二首なども見えるが、果たして、いつ何処でというようなことまでは、明確ではない...
吉川英治 「私本太平記」
...恵瓊はそれを観る達人と見てとりました...
吉川英治 「新書太閤記」
...安国寺の恵瓊(えけい)というて」「はい...
吉川英治 「新書太閤記」
...僧侶としてはまだ多分に若気(わかげ)であった一旅僧の恵瓊の姿が追憶された...
吉川英治 「新書太閤記」
...「実はもういちど西堂(さいどう)(恵瓊のこと)を煩(わずら)わして...
吉川英治 「新書太閤記」
...それは」秀吉はもったいないような顔をして、しかし、祝酒ならよかろうと、小姓に銚子(ちょうし)を命じ、三宝に盛って出された昆布(こんぶ)、勝栗(かちぐり)、美濃(みの)の干柿(ほしがき)などのうちから、柿一つ取って自分も喰べ、恵瓊にも、「取れ、取れ」と、すすめ、「さて」――と、本題にはいって、こう説いた...
吉川英治 「新書太閤記」
...……よしなに」恵瓊(えけい)の小舟は矢のように帰って行った...
吉川英治 「新書太閤記」
...その際、恵瓊殿に対して、猿殿がどんな利をくらわせたか、どう別な意味に、彼を抱きこんだかは知れないが、とにかく恵瓊殿は、「飢餓(きが)に迫る城内五千の生命を救えることなら、僧として、身命を賭(と)しても、和議のお仲立ち仕りましょう」と敵の吉川、小早川の陣と、石井山の御本陣との間を...
吉川英治 「茶漬三略」
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