...彫鞍宝勒飛シ二玉塵ヲ於郊ニ一或ハ氈帽棕鞋蹈ミ二瓊瑤ヲ於街衢ニ一或画舸載セレ妓ヲ或高楼呼ビレ酒ヲ直ニ以為シ二勝遊楽事ト一...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...彼の大國主の天の瓊矛を杖いて草昧の民の上に君臨せる俤を只今目前にみるのおもひあり久方の天が下には言絶えて嘆きたふとび誰かあふがざらむ十九日...
長塚節 「長塚節歌集 下」
...瓊宮五帝内思上法とか...
中谷宇吉郎 「古代東洋への郷愁」
...これは瓊州(けいしゅう)猿の雌を飼いしに成熟期に及び黒から灰茶色に変わった(『大英百科全書』十一)というから推すと...
南方熊楠 「十二支考」
...一日隣奴何瓊仙なる者と同飲す...
南方熊楠 「十二支考」
...三百里余瓊浦道...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...「贈瓊浦石崎君」の作に徴して知られる...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...皇孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)は立ち給うたのである...
吉川英治 「折々の記」
...左軍校尉(さぐんこうい)淳于瓊(じゅんうけい)...
吉川英治 「三国志」
...それに安心したか、果たして、淳于瓊は毎日、部下をあつめて飲んでばかりいた...
吉川英治 「三国志」
...杜瓊(とけい)などの四将二万騎は...
吉川英治 「三国志」
...一ノ御子(みこ)(尊良(たかなが))女(にょ)三(さん)ノ御子(瓊子(たまこ))...
吉川英治 「私本太平記」
...瓊子(たまこ)作ルと...
吉川英治 「私本太平記」
...恵瓊は思わず踏みこえて来て...
吉川英治 「新書太閤記」
...どこに」恵瓊がすこし顔のいろを変えると...
吉川英治 「新書太閤記」
...相手がちがってからの恵瓊は前ほどの雄弁を失っていた...
吉川英治 「新書太閤記」
...恵瓊の眼のまえで書判(かきはん)を誌(しる)した...
吉川英治 「新書太閤記」
...その際、恵瓊殿に対して、猿殿がどんな利をくらわせたか、どう別な意味に、彼を抱きこんだかは知れないが、とにかく恵瓊殿は、「飢餓(きが)に迫る城内五千の生命を救えることなら、僧として、身命を賭(と)しても、和議のお仲立ち仕りましょう」と敵の吉川、小早川の陣と、石井山の御本陣との間を...
吉川英治 「茶漬三略」
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