...瑕瑾(かきん)を受けた事のない名家である...
芥川龍之介 「忠義」
...あまりにたがひたれば玉山の玉に瑾(きず)あらんも惜(をし)ければ...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...御政道の瑕瑾(かきん)と相成る...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...なにしろベシイの遺言書に法律上の瑕瑾(きず)がないので...
牧逸馬 「浴槽の花嫁」
...其右に「天保五年甲午(かふご)二月廿五日佛弟子竹谷依田瑾薫沐書(きんくんもくしてしよす)」と記してある...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...周瑜(しゅうゆ)字(あざな)を公瑾(こうきん)といい...
吉川英治 「三国志」
...名を瑾(きん)という...
吉川英治 「三国志」
...その中にある諸葛瑾を見て...
吉川英治 「三国志」
...瑾は、あわてて、「何で呉君の厚恩を裏切りましょう...
吉川英治 「三国志」
...諸葛瑾は、はっとした...
吉川英治 「三国志」
...諸葛瑾は、成都を去って、山覊舟行(さんきしゅうこう)数十日、荊州へ着くや、すぐ城を訪れて関羽に対面した...
吉川英治 「三国志」
...諸葛瑾は、とりつくしまもなく、ここを去って再び蜀へもどり、玄徳へ訴えようとしたが、その玄徳は折から病中とあって典医が面会を許さず、弟の孔明に会おうとすれば、その孔明は郡県の巡察に出張して、しばらくは成都に帰るまいという...
吉川英治 「三国志」
...さしずめ、瑾を使者として、荊州へつかわそう...
吉川英治 「三国志」
...すなわち諸葛瑾(しょかつきん)だった...
吉川英治 「三国志」
...諸葛瑾はすぐ江船の奉行に帆支度をいいつけ...
吉川英治 「三国志」
...諸葛瑾(きん)の顔が...
吉川英治 「三国志」
...困った瑾(きず)がある...
吉川英治 「新書太閤記」
...その瑕瑾(かきん)をとがめず...
吉川英治 「梅里先生行状記」
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