...ここに大穴牟遲の神...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...本牟智部(ほむちべ)という部族をおこしらえさせになりました...
鈴木三重吉 「古事記物語」
...大穴牟遅ノ神を呼(ヨバ)いて詔給わく...
高木敏雄 「比較神話学」
...日本に於いては釈迦牟尼は絶対に仏であって人格ではなかった...
高村光太郎 「本邦肖像彫刻技法の推移」
...(牟岐、長尾屋) (甲ノ浦、三福屋)夜 菜葉、芋 菜葉塩鰯 煮魚唐辛佃煮 菜漬朝 味噌汁 味噌汁×唐辛佃煮 ×菜漬菜漬(×印をお弁当に入れる)(十一月五日、室戸岬へ)おほらかにおしよせて白波ごろごろ浜水もころころ山から海へ銃後風景おぢいさんおばあさん炭を焼いてゐる旅はほろほろ月が出た旅のからだをぽりぽり掻いてゐる病みて旅人いつもニンニクたべてゐる(室戸)わだつみをまへにわがおべんたうまづしけれどもあらなみの石蕗の花ざかり松はかたむいてあら波のくだけるまゝ蔦がからまりもみづりて電信棒われいまここに海の青さのかぎりなし秋ふかく分け入るほどはあざみの花墓二つ三つ大樟のかげ落葉あたたかく噛みしめる御飯のひかりいちにち物いはず波音野宿さま/″\こんやはひとり波音につつまれて食べて寝て月がさしいる岩穴枯草ぬくう寝るとする蠅もきてゐる月夜あかるい舟があつてそのなかで寝る泊るところがないどかりと暮れたすすき原まつぱだかになつて虱をとるかうまでよりすがる蠅をうたうとするか水あり飲めばおいしく洗ふによろしく波音そのかみの悲劇のあと太平洋に面してぼうぼううちよせてわれをうつ現実直前の力...
種田山頭火 「四国遍路日記」
...鄒牟とも朱蒙ともなることもある...
内藤湖南 「近畿地方に於ける神社」
...高句麗地方の人々は東明とも鄒牟とも朱蒙とも云ふ...
内藤湖南 「近畿地方に於ける神社」
...牟婁郡(むろごおり)から来て有田郡(ありたごおり)の方へ流れているのであります...
中里介山 「大菩薩峠」
...釈迦牟尼(しゃかむに)によって取抑えられたときの恐怖が...
中島敦 「悟浄歎異」
...阿牟伽(オンアボキャ)やる図なんてものは...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...牟田先生は料理屋の主人夫婦に御礼を云いました...
夢野久作 「豚吉とヒョロ子」
...〈色白く彼牟頭華のごとし...
南方熊楠 「十二支考」
...愛美幸賜天牟(めぐみさきわいたまいてん)〉とある由...
南方熊楠 「十二支考」
...西牟婁郡川添村は...
南方熊楠 「神社合祀に関する意見」
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宮澤賢治 「〔雨ニモマケズ〕」
...大牟田公平か』わざと...
吉川英治 「死んだ千鳥」
...大牟田公平の前後をどっと囲んだ...
吉川英治 「死んだ千鳥」
...東は、牟礼、志度路、すこし行けば、山岳地へ入り込めよう...
吉川英治 「随筆 新平家」
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