例文・使い方一覧でみる「片町」の意味


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...私は氏と一緒に本郷西片町で自炊するようになったのを幸...   私は氏と一緒に本郷西片町で自炊するようになったのを幸の読み方
伊波普猷 「「古琉球」自序」

...東片町に住(すま)った頃...   東片町に住った頃の読み方
内田魯庵 「二葉亭余談」

...東片町時代には大分老耄(ろうもう)して居睡(いねむり)ばかりしていたが...   東片町時代には大分老耄して居睡ばかりしていたがの読み方
内田魯庵 「二葉亭余談」

...だから顧客の範囲も至って狭く、森川町一円、東片町、西片町、曙町、弥生町、少し離れて駕籠町、神明町辺りが止りでしたから、新年には顧客先を私自身一軒一軒年始まわりをしたものです...   だから顧客の範囲も至って狭く、森川町一円、東片町、西片町、曙町、弥生町、少し離れて駕籠町、神明町辺りが止りでしたから、新年には顧客先を私自身一軒一軒年始まわりをしたものですの読み方
相馬愛蔵、相馬黒光 「一商人として」

...お父上が西片町のお家で亡くなられてから...   お父上が西片町のお家で亡くなられてからの読み方
太宰治 「斜陽」

...東京の西片町のお家を捨て...   東京の西片町のお家を捨ての読み方
太宰治 「斜陽」

...西片町のお家の直治のお部屋にあったもの全部を...   西片町のお家の直治のお部屋にあったもの全部をの読み方
太宰治 「斜陽」

...私どもの西片町のお家の近所に住んでいましたので...   私どもの西片町のお家の近所に住んでいましたのでの読み方
太宰治 「斜陽」

...短い西片町(にしかたまち)時代を経て最後の早稲田時代になると...   短い西片町時代を経て最後の早稲田時代になるとの読み方
寺田寅彦 「柿の種」

...理科大学の二年生で西片町(にしかたまち)に家を持っていたその頃の日記の一節を「牛頓日記」と名づけて出したことがある...   理科大学の二年生で西片町に家を持っていたその頃の日記の一節を「牛頓日記」と名づけて出したことがあるの読み方
寺田寅彦 「明治三十二年頃」

...午後(ひるすぎ)になるのを待つて西片町何番地何號へ車を命じた...   午後になるのを待つて西片町何番地何號へ車を命じたの読み方
永井荷風 「新歸朝者日記」

...西片町の医師の処へ行く途中...   西片町の医師の処へ行く途中の読み方
中谷宇吉郎 「『団栗』のことなど」

...西片町十ロノ七ノアタリナリ...   西片町十ロノ七ノアタリナリの読み方
夏目漱石 「鈴木三重吉宛書簡―明治三十九年」

...――片町といふ所の八百屋(やおや)の新芋(いも)のあかきがみえしかば土産にせんとて少しかふ...   ――片町といふ所の八百屋の新芋のあかきがみえしかば土産にせんとて少しかふの読み方
長谷川時雨 「樋口一葉」

...其一本郷の何處とやら、丸山か片町か、柳さくら垣根つゞきの物しづかなる處に、廣からねども清げに住なしたる宿あり、當主は瀬川與之助とて、こぞの秋山の手の去る法學校を卒業して、今は其處の出版部とやら編輯局とやらに、月給なにほど成るらん、靜かに青雲の曉をまつらしき身の上、五十を過ぎし母のお近と、お新と呼ぶ從妹(いとこ)の與之助には六歳おとりにて十八ばかりにや、おさなきに二タ親なくなりて哀れの身一つを此處にやしなはるゝ、此三人ぐらし成けり、筒井づゝの昔しもふるけれど、振わけ髮のおさなだちより馴れて、共に同胞なき身の睦ましさ一トしほなるに、お新はまして女子の身の浮世に交はる友も少なければ、與之助を兄の樣に思ひて、心やすく嬉しき後ろだてと頼み、よし風ふかば吹け波たゝばたて與之樣おはしますほどはと據りかゝれる心の憐れに可愛く、此罪なく美つくしき人をおきて、いさゝかも他處に移る心のあらんは我れながら宜からぬ業と、與之助が胸に思ふことあり、八歳の年より手鹽にかけたれば、我が親族(みより)にはあらねどお近とても憎くはあらで、同じくは願ひのまゝに取むすびて、二人が嬉しき笑顏を見、二人が嬉しき素振を眺め、我れも嬉しき一人に成りて、すべての願ひ、望み、年來(としごろ)むねに描きし影を夢なりけりと斷念(おもひきり)、幾ほどもなき老らくの末を、斯くて此まゝやさしき婆々樣に成りて送らばや、さらばお新が喜びは如何ばかりぞ、與之助とても我れをつらしとは思ふまじけれど、あはれ今一方の人の涙の床に起臥して、悲しき闇にさまよふべきを思へば、いづれ恨みの懸かるべきは我れなり、天より降り來たりし如き幸福の眼のまへに沸き出でたるを取らで、はかなき一ト筋の情に引かるれば、恨みは我れに殘りて、得がたき幸福は天の何處にか行きさるべし、與之助の女々しく未練なるは弱年(としわか)のならひ、見る目の花に迷ひて行末の慮なければなるを、これと同心(ひとつ)に成りて我れさへに心よはくば、辛き浮世になりのぼる瀬なくして、をかしからぬ一生を塵の中にうごめかんのみ、親子夫婦むつましきを人間上乘の樂しみと言ふは、外に求むることなく我れに足りたる人の言の葉ぞかし、心は彼の岸をと願ひて中流に棹さす舟の、寄る邊なくして彼にたゞよふ苦るしさは如何ばかりぞ、我れかしこしと定めて人を頼まぬ心だかさは、ふと聞きたるにこそ尊とくもあれ、遂に何ごとを爲すべき塲處も無くして、玉か瓦か人見わけねば、うらみを骨に殘して其の下に泣くたぐひもあり、今の心にいさゝか屑ぎよからずとも、小を捨てゝ大につくは恥とすべきにも非ず、此ごろ名高き誰れ彼れの奧方の縁にすがりて、今の位置をば得たりと聞ゆるも多きに、これを卑劣(さも)しきことゝ誹るは誹るものゝ心淺きにて、男一疋なにほどの疵かはつかん、草がくれ拳をにぎる意氣地なさよりも、ふむべき爲のかけはしに便りて、をゝしく、たけく、榮えある働を浮世の舞臺にあらはすこそ面白けれ、お新がことは瑣細なり、與之助が立身の機は一ト度うしなひて又の日の量り難きに、我れはいさゝかも優しく脆ろく通常(なみ)一とほりの婦女(をんな)氣を出だすべからず、年來馴れたる中のたがひに思ふ事も同じく、瑕なき玉のいづれ不足もなき二人を、鬼とも成りて引分る心は、何として嬉しかるべきぞ、我れになしても思ひしる、お新が乙女心に何ごとの思ひもなくて、はるかに嬉しき夢を見つゝ、與之助をば更らなり、我が内心に何者の住めりとも知らで、母が懷中(ふところ)に乳房をさぐるが如き風情の、たちまちにして驚き覺めたらん時は、恨みに詞の極まりて、泣くに涙も出でざるべし、さても浮世は罪の世の中よな、汲むにあまれる哀れの我が心一つよりこそ、愁ひの眉を笑みにかへて和風こゝに通ふの春色(けしき)をも見らるべけれど、我が瀬川の家の爲に、與之助が將來(ゆくすゑ)の爲に、時の運の我が親子を迎ふるを見て、知りつゝ我れは仇になりて、可愛き人を涙の淵に落すぞかし、されどもお新はお新の運ありて、與之助に連れ添ふ一生の嬉しき願ひはこゝに絶ゆるとも、さるべき縁にしたがひて、さるべき幸福の廻ぐりも來たりぬべきに、我れはお新がことを思ふべきに非ず、可愛しとても、いぢらしとても、振かへりて抱きあぐるは只暫時の心やりにて、遂ひに右左り分つ袂の宿世なりけるを、我が一日の情は與之助に一日の未練をまさせて、今一方の入に物思ひの數を添へつゝ、其二タ親が闇に迷へる悲しみを増さするより外に、功は露ほどもあることならねば、よし鬼ともなり蛇ともなり、つれなく憎くき伯母になりて、與之助が心の彼方に向ふべき樣あつかふは我が役なり、嬉しき迎ひは我が足もとまで來りけるものをと、お近は瑞雲の我が家の棟に棚引ける如き想像(おもひ)にかられて、八字の髯に威嚴そなはる與之助が、黒ぬり馬車に榮華をほこる面かげまで、あり/\と胸のうちに描かれぬ...   其一本郷の何處とやら、丸山か片町か、柳さくら垣根つゞきの物しづかなる處に、廣からねども清げに住なしたる宿あり、當主は瀬川與之助とて、こぞの秋山の手の去る法學校を卒業して、今は其處の出版部とやら編輯局とやらに、月給なにほど成るらん、靜かに青雲の曉をまつらしき身の上、五十を過ぎし母のお近と、お新と呼ぶ從妹の與之助には六歳おとりにて十八ばかりにや、おさなきに二タ親なくなりて哀れの身一つを此處にやしなはるゝ、此三人ぐらし成けり、筒井づゝの昔しもふるけれど、振わけ髮のおさなだちより馴れて、共に同胞なき身の睦ましさ一トしほなるに、お新はまして女子の身の浮世に交はる友も少なければ、與之助を兄の樣に思ひて、心やすく嬉しき後ろだてと頼み、よし風ふかば吹け波たゝばたて與之樣おはしますほどはと據りかゝれる心の憐れに可愛く、此罪なく美つくしき人をおきて、いさゝかも他處に移る心のあらんは我れながら宜からぬ業と、與之助が胸に思ふことあり、八歳の年より手鹽にかけたれば、我が親族にはあらねどお近とても憎くはあらで、同じくは願ひのまゝに取むすびて、二人が嬉しき笑顏を見、二人が嬉しき素振を眺め、我れも嬉しき一人に成りて、すべての願ひ、望み、年來むねに描きし影を夢なりけりと斷念、幾ほどもなき老らくの末を、斯くて此まゝやさしき婆々樣に成りて送らばや、さらばお新が喜びは如何ばかりぞ、與之助とても我れをつらしとは思ふまじけれど、あはれ今一方の人の涙の床に起臥して、悲しき闇にさまよふべきを思へば、いづれ恨みの懸かるべきは我れなり、天より降り來たりし如き幸福の眼のまへに沸き出でたるを取らで、はかなき一ト筋の情に引かるれば、恨みは我れに殘りて、得がたき幸福は天の何處にか行きさるべし、與之助の女々しく未練なるは弱年のならひ、見る目の花に迷ひて行末の慮なければなるを、これと同心に成りて我れさへに心よはくば、辛き浮世になりのぼる瀬なくして、をかしからぬ一生を塵の中にうごめかんのみ、親子夫婦むつましきを人間上乘の樂しみと言ふは、外に求むることなく我れに足りたる人の言の葉ぞかし、心は彼の岸をと願ひて中流に棹さす舟の、寄る邊なくして彼にたゞよふ苦るしさは如何ばかりぞ、我れかしこしと定めて人を頼まぬ心だかさは、ふと聞きたるにこそ尊とくもあれ、遂に何ごとを爲すべき塲處も無くして、玉か瓦か人見わけねば、うらみを骨に殘して其の下に泣くたぐひもあり、今の心にいさゝか屑ぎよからずとも、小を捨てゝ大につくは恥とすべきにも非ず、此ごろ名高き誰れ彼れの奧方の縁にすがりて、今の位置をば得たりと聞ゆるも多きに、これを卑劣しきことゝ誹るは誹るものゝ心淺きにて、男一疋なにほどの疵かはつかん、草がくれ拳をにぎる意氣地なさよりも、ふむべき爲のかけはしに便りて、をゝしく、たけく、榮えある働を浮世の舞臺にあらはすこそ面白けれ、お新がことは瑣細なり、與之助が立身の機は一ト度うしなひて又の日の量り難きに、我れはいさゝかも優しく脆ろく通常一とほりの婦女氣を出だすべからず、年來馴れたる中のたがひに思ふ事も同じく、瑕なき玉のいづれ不足もなき二人を、鬼とも成りて引分る心は、何として嬉しかるべきぞ、我れになしても思ひしる、お新が乙女心に何ごとの思ひもなくて、はるかに嬉しき夢を見つゝ、與之助をば更らなり、我が内心に何者の住めりとも知らで、母が懷中に乳房をさぐるが如き風情の、たちまちにして驚き覺めたらん時は、恨みに詞の極まりて、泣くに涙も出でざるべし、さても浮世は罪の世の中よな、汲むにあまれる哀れの我が心一つよりこそ、愁ひの眉を笑みにかへて和風こゝに通ふの春色をも見らるべけれど、我が瀬川の家の爲に、與之助が將來の爲に、時の運の我が親子を迎ふるを見て、知りつゝ我れは仇になりて、可愛き人を涙の淵に落すぞかし、されどもお新はお新の運ありて、與之助に連れ添ふ一生の嬉しき願ひはこゝに絶ゆるとも、さるべき縁にしたがひて、さるべき幸福の廻ぐりも來たりぬべきに、我れはお新がことを思ふべきに非ず、可愛しとても、いぢらしとても、振かへりて抱きあぐるは只暫時の心やりにて、遂ひに右左り分つ袂の宿世なりけるを、我が一日の情は與之助に一日の未練をまさせて、今一方の入に物思ひの數を添へつゝ、其二タ親が闇に迷へる悲しみを増さするより外に、功は露ほどもあることならねば、よし鬼ともなり蛇ともなり、つれなく憎くき伯母になりて、與之助が心の彼方に向ふべき樣あつかふは我が役なり、嬉しき迎ひは我が足もとまで來りけるものをと、お近は瑞雲の我が家の棟に棚引ける如き想像にかられて、八字の髯に威嚴そなはる與之助が、黒ぬり馬車に榮華をほこる面かげまで、あり/\と胸のうちに描かれぬの読み方
樋口一葉 「花ごもり」

...昔の學者町西片町に住んでゐた幾人かの官學出の學者を知つてゐるが...   昔の學者町西片町に住んでゐた幾人かの官學出の學者を知つてゐるがの読み方
正宗白鳥 「昔の西片町の人」

...片町の角のところで辻駕籠(つじかご)に乗った...   片町の角のところで辻駕籠に乗ったの読み方
山本周五郎 「樅ノ木は残った」

...龍山公のお孫を迎えるべく蔵前片町へ出向いて行った...   龍山公のお孫を迎えるべく蔵前片町へ出向いて行ったの読み方
吉川英治 「牢獄の花嫁」

「片町」の読みかた

「片町」の書き方・書き順

いろんなフォントで「片町」


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