...爾を傷(きずつ)けんとはなせしぞ」ト...
巌谷小波 「こがね丸」
...然るに爾その後(のち)は...
巌谷小波 「こがね丸」
...ついで将軍家は、このたびの合戦に於いて抜群の勲功をいたした者をお尋ねに相成り、諸将士はこれに対して異口同音に、敵方に於いては朝夷名三郎、御ところ方に於いては匠作泰時さまをお挙げになつて、匠作泰時さまはただちに御前ちかく召されておほめの御言葉を賜りましたが、その時、匠作さまは恥ぢらふ如く内気の笑ひをお顔に浮べ、勲功などとは、もつてのほか、匠作このたびの合戦に於いては、まことにぶざまの事ばかり多く、実はついたちの夜にばかな大酒をいたしまして、二日にはひどい宿酔、それ和田氏の御挙兵と聞きましても夢うつつ、ほとんど手さぐりにて、とにかく甲冑をつけ馬に乗つてはみましたが、西も東も心許なく、ああ大酒はいかん、もののお役に立ち申さぬ、爾後は禁酒だ、と固く心に誓ひ、なほも呆然たるうちに敵兵と逢ひ、数度戦つて居りまするうちに喉がかわいてたまらなくなり、水を、と士卒に言ひつけましたところ、こいつまた気をきかして小筒に酒をつめて差し出しまして、一口のんですぐに酒だと気がつきましたものの、酒飲みの意地汚なさ、捨てるには惜しく、ついさつきの禁酒の誓を破つてごくごくと一滴あまさず飲みほして、これからが本当の禁酒だなどと、まことにわれながらその薄志弱行にはあいそがつきまして、さう言ひながらも昨夜はまた戦勝の心祝ひなどと理窟をつけて少しやつてゐるやうな有様なのでございますから、まだまだ修行はいたらず、とても、おほめにあづかるほどの男ではございませぬ、この後は努めて、大酒をつつしむやうに致しまするから、どうか、このたびの失態は御寛恕のほどを願はしく存じます、としんから恐縮し切つて居られる御様子で汗を流して言上なさいましたが、将軍家をはじめ満座の諸将士ひとしく、この匠作さまの功にほこらぬ美しいお心に敬服なされたやうでございました...
太宰治 「右大臣実朝」
...それには爾(なんじ)婚姻を問う...
田中貢太郎 「断橋奇聞」
...卒爾(そつじ)ながらお身たちは...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...哈爾賓(ハルピン)産の肥えた馬の手綱(たづな)を取って控えていた...
夏目漱石 「満韓ところどころ」
...哈爾賓(ハルピン)へ行って殺される方がいいんだよ」と宗助が始めて調子づいた口を利(き)いた...
夏目漱石 「門」
...爾(しか)考えるのは...
西田幾多郎 「デカルト哲学について」
...――尤(もっと)も君も新聞記者だが――」花房一郎は莞爾(かんじ)として振り向きました...
野村胡堂 「女記者の役割」
...爾餘の鎌倉佛教と同日に論じられぬものの如くにも見えるけれども...
原勝郎 「鎌倉時代の布教と當時の交通」
...爾(そ)う云う世の中で洋学者もつまらぬ事に驚かされて居ました...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...主従の間も売言葉に買言葉爾(そ)う云(い)う風であるから藩に対して甚(はなは)だ淡白...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...爾(そ)う喧(やかま)しく云わんでも宜(い)い...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...校長ヘガー氏へ、祕めたる片戀――その切々たる情は、著者が、爾後數年間、春風秋雨、をり/\に、ハワースの牧師館から送つた手紙の紙面に溢れてゐる...
ブロンテイ 十一谷義三郎訳 「ジエィン・エア」
...あの森は?合爾合(カルカ)はつんと横を向いて...
林不忘 「若き日の成吉思汗」
...御門祭詞に天能麻我都比登云神乃言武惡事爾相麻自許理(あめのまがつひといふかみのいはむまがことにあひまじこり)云々と有るに同じ...
南方熊楠 「詛言に就て」
...爾来(じらい)殆んど年毎に往返す...
山路愛山 「頼襄を論ず」
...斉斉哈爾の城内に入り...
與謝野寛・與謝野晶子 「満蒙遊記」
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