...郭内室屋一宇を残さず焼亡す...
太宰治 「右大臣実朝」
...四日、甲午、晴、亥剋、由比浜辺焼亡す、南風烈しきの間、若宮大路数町に及ぶ、其中間の人家皆以て災す...
太宰治 「右大臣実朝」
...前大膳大夫入道覚阿の亭以下四十余宇焼亡す...
太宰治 「右大臣実朝」
...十五日、丙子、丑刻、大倉辺焼亡す、数十宇災す...
太宰治 「右大臣実朝」
...回向院堂宇も尽く焼亡せしと云ふ...
永井荷風 「断腸亭日乗」
...昨夜十一時浅草公園御国座焼亡せし由...
断膓亭日記巻之四大正九年歳次庚申 「断腸亭日乗」
...此日午後市ヶ谷監獄署跡新開町焼亡すと云...
断膓亭日記巻之四大正九年歳次庚申 「断腸亭日乗」
...自分をも焼亡する...
中里介山 「大菩薩峠」
...焼亡の後久しからずして再建になった...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...蔵書衣類什器の過半を焼亡してしまつた...
正岡容 「旧東京と蝙蝠」
...俄に隆昌しだしたこの新興色町は漸く町並に一種の情趣を生じて来たところで惜しくも焼亡してしまつたのである...
正岡容 「巣鴨菊」
...即ち翌廿年三月九日夜の戦火に焼亡してしまつた...
正岡容 「山の手歳事記」
...かの京都耶蘇寺(やそでら)の焼亡後...
吉川英治 「江戸三国志」
...賊軍のため焼亡した笠置寺(かさぎでら)へ...
吉川英治 「私本太平記」
...焼亡したことである...
吉川英治 「私本太平記」
...天文年間の焼亡以前にはあったという二十坊舎の輪奐(りんかん)の美を完成するにはなお多大な普請(ふしん)を要するし...
吉川英治 「新書太閤記」
...この地方の織田被官はたいてい殺戮(さつりく)や焼亡の難に遭ったのであった...
吉川英治 「新書太閤記」
...だからこそ、一門が都の落去も、福原の焼亡も、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の末路も、あわれとも、優しいとも、人間宿業のかなしさとも、何かいい知れない悲曲の響きを、今でも人の胸へ打ってくるのではあるまいか...
吉川英治 「随筆 新平家」
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