...「禹王堆」は、中国・湖北省の出土墓の名称で、三国時代の蜀漢の劉備の臣下であった伊籍が埋葬されていることで知られています...
...「白帝」といえば、重慶市・湖北省にある山・景勝地の名称...
...とにかく湖北(こほく)水災義捐(ぎえん)金を募集して譚叫天(たんきょうてん)がまだ生きている時分だ...
魯迅 井上紅梅訳 「村芝居」
...その上の方に遠く青空を支へて湖東から湖北の天を繞らしてゐる山の容(すがた)が逶(ゐい)として連なつてゐるのが次第に明かに認められてきた...
近松秋江 「湖光島影」
...滋賀縣の湖北には又蕎麥のメンヂャがある...
柳田國男 「食料名彙」
...湖北村大字中峠(なかびょう)がある...
柳田國男 「地名の研究」
...湖北某村とあるのみだが...
柳田国男 「年中行事覚書」
...山の口明けと同じ日だというのが湖北とは変っている...
柳田国男 「年中行事覚書」
...湖北をまわって菩提所(ぼだいしょ)の瑠璃光寺へ寄り...
山本周五郎 「若き日の摂津守」
...宛城(えんじょう)(湖北省・荊門県附近)へ迫って行った...
吉川英治 「三国志」
...江夏(こうか)(湖北省・麻城県附近)あたりの兵匪の乱などが最も大きなものだった...
吉川英治 「三国志」
...湖南の水、湖北の岸、揚子江の流域はようやく波さわがしい兆(きざ)しをあらわした...
吉川英治 「三国志」
...三荊州の劉表(湖北・湖南を領す...
吉川英治 「三国志」
...ただ見る檀渓(だんけい)(湖北省(こほくしょう)・襄陽(じょうよう)の西...
吉川英治 「三国志」
...南方の沿海、江蘇方面から、安徽(あんき)、浙江(せっこう)におよび、江岸の荊州(湖南、湖北)より、さらにさかのぼって益州(えきしゅう)(四川省(しせんしょう))にまでちらかった...
吉川英治 「三国志」
...「湖北へお出ましの後...
吉川英治 「三国志」
...宜都(ぎと)(湖北省・宜都)までいそいだ...
吉川英治 「三国志」
...亭(こてい)(湖北省・宜都の西方)まで進めた...
吉川英治 「三国志」
...蔡(さい)・潁(えい)から湖北の淮水(わいすい)へ出て...
吉川英治 「三国志」
...湖北の山からうごき出す...
吉川英治 「新書太閤記」
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