...楠公の湊川に討死せる時...
高山樗牛 「美的生活を論ず」
...湊川の合戦というところ...
直木三十五 「南国太平記」
...同じ作者の『湊(みなと)の花』には...
永井荷風 「雪の日」
...大湊は神代からの因縁(いんねん)のある古い古い船着(ふなつき)であります...
中里介山 「大菩薩峠」
...「房州の小湊(こみなと)へ行く道にお仙転(せんころ)がしというのがあるが...
中里介山 「大菩薩峠」
...この小湊の浜の波の音は...
中里介山 「大菩薩峠」
...そこから湊橋(みなとばし)まで...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...その奥が岩にかこまれた湊になっていて...
久生十蘭 「ボニン島物語」
...砕いてしまう)仙太 加多っ!加多 天狗党隊士真壁仙太郎として湊で死なしてやる! わかっている! いいから来い!再び仙太郎の肩を掴み...
三好十郎 「天狗外伝 斬られの仙太」
...湊々(みなとみなと)の日和山(ひよりやま)は...
柳田国男 「海上の道」
...大正九年に青森県の大湊付近を歩いて...
柳田国男 「故郷七十年」
...駿河の清水湊も『新風土記』によればもとは浜清水と呼び...
柳田國男 「地名の研究」
...風待ち日和(ひより)待ちの長かった日本海側の湊場(みなとば)などで...
柳田国男 「木綿以前の事」
...いさんで湊川へ出陣したという」これも信じられない...
山本周五郎 「樅ノ木は残った」
...湊屋じゃないか...
夢野久作 「近世快人伝」
...疲労困憊(ひろうこんぱい)のかたまりのような残軍を湊川まで引いて...
吉川英治 「私本太平記」
...屋(や)くの郷(がう)のうちに 宮内卿殿へ欲(ほ)しがられ候所にても 又いづくにても かうふく寺(光福寺)へ寄せたく候名所(などころ)とほど(程)などを承(うけたま)はり候へ 殿へも申合せさうらふべく候まづそのほども知りがたき身にて候ほどに 申しをき候生れそだちたる所にて候ほどに申をきさうらふかうゑい元年八月十三日清子(花押)うゑすぎのせうひつどのへ年号の「康永(こうえい)元年」は、尊氏が九州から北上して、湊川に勝ち、室町幕府の緒(しょ)を開いた――それから七年目の年で、また、あて名にみえる上杉(うえすぎ)の正弼(しょうひつ)というのは、清子の甥の、弾正正弼(だんじょうしょうひつ)のことである...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
...「湊川でも、あれほどな我慢のできたそちが、なんでそんな乱暴したか...
吉川英治 「梅里先生行状記」
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