...清正の手を押しとどめた...
芥川龍之介 「金将軍」
...義經や蒸汽船や加藤清正の譚を聞かして貰つたものだ...
石川啄木 「天鵞絨」
...浜町の清正公(せいしょうこう)の出世開運のお札と一所にしてあった...
泉鏡花 「婦系図」
...加藤清正も同じく兒飼ひの身なるが...
大町桂月 「石田堤」
...清正公(せいしょうこう)の此処(ここ)の角を曲ると...
岡田三郎助 「白い蝶」
...加藤清正(かとうきよまさ)は加藤清正らしい顔をしているし...
竹久夢二 「たどんの與太さん」
...加藤清正紙の鎧(よろひ)の清正(きよまさ)は虎(とら)を退治(たいぢ)の竹(たけ)の槍(やり)...
竹久夢二 「どんたく」
...黙つて立つてるもので先生はしかたなしに一字二字づつ教へて手をひくやうにして読ませたけれど私は加藤清正が明軍に取囲まれてる挿画に見とれるばかりで本のはうは皆目わからない...
中勘助 「銀の匙」
...すなわち御先祖清正公は、ここからほんの地続きの尾張の中村で生れ、そうしてあの尾張名古屋の御本丸も、清正公一手で築き成したもの、清正公の魂魄は、肥後の熊本よりは、この尾張の名古屋に残っているということを、よくよく申し聞かせても、どうしてもこの子にはその気になれないようでございます」「それもそうかも知れませぬ、世間の人も加藤清正公と申せば、肥後の熊本だと思います、清正公の魂は、かえってあちらに止まっておられるかも知れません、それが伊津丸殿の心を惹(ひ)かされる所以(ゆえん)かも知れませぬ」と梶川が言った時に、病人はちょっと向き直って、「わたしはやはり肥後の熊本が、なんとも言えず慕わしい、梶川殿、どちらかなれば、わたしは白骨よりは熊本へ行きたい、なんと熊本まで私をお送り下さるまいか」「お送り申すは容易(やす)いことなれど……」その時奥方は、キッと襟(えり)を正し、「伊津丸、お前はそれほど熊本へ行きたいならばおいでなさい、私はいつまでもこの尾張の国に残っております、御先祖の心をこめた、あの金の鯱(しゃちほこ)のある尾張名古屋の城の見えないところへは行きたくありません、死ぬならば尾張の国の土になりたい、熊本はわたしの故郷ではありません」六十七信濃の国は安曇(あずみ)の郡(こおり)の山また山――雪に蔽(おお)われた番所ヶ原を、たったひとりで踏み越えて白骨谷に行くと広言した弁信法師、ふと或る地点で足を踏みとどめてしまいました...
中里介山 「大菩薩峠」
...同時に人物を論ずれば、家康、如水、氏郷、政宗、三成、清正、正則、それに毛利と、島津あたりのところで種切れになるだろう...
中里介山 「大菩薩峠」
...あるいは清正(きよまさ)を崇拝して武士道を尊重したこの心を利用していわゆる町人百姓の道徳を引上げるの策に出でねばなるまい...
新渡戸稲造 「平民道」
...虎に清正、仁田(にたん)に猪...
久生十蘭 「顎十郎捕物帳」
...講談「安政三組盃」中の与力鈴木藤吉郎の妾宅や落語「清正公酒屋」の虎屋饅頭お仲が清七との仲を割かれて隔離されてゐたごときすみだ川沿ひではなく馬道の通りの中程から東へ折れた新道にあつた...
正岡容 「異版 浅草燈籠」
...強がりは清正のかぶと...
山本笑月 「明治世相百話」
...清正公様のお堂の蝋燭で洟(はな)でもかんで...
吉川英治 「かんかん虫は唄う」
...その無理な条件をも容(い)れてまで客分に迎えた清正の熱心と寛度も大きなものと云わなければなるまい...
吉川英治 「剣の四君子」
...其時ノ一番槍トモ称(イ)ハレタレと清正自身が噺(はな)していることになっている...
吉川英治 「新書太閤記」
...その折、祖父の石舟斎が、加藤清正に、「兵庫儀は、殊のほか、短慮者でござれば、いかような落度(おちど)があろうとも、死罪三度までは、おゆるしありたい」と、頼んで約束したという...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
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