...秦淮(シンワイ)にて楊州で画舫(がぼう)を漕いでくれた母親の方にはまだまだ昔の支那が残っていたようである...
上村松園 「中支遊記」
...莊子の天下篇、呂氏春秋の序意、淮南子の要略、史記の太史公自序などがさうである...
内藤湖南 「支那目録學」
...費誓は周公の子の伯禽が徐淮の夷を征伐したことを書いたもので...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...むかし淮陰(わいいん)の少年が韓信(かんしん)を侮(あなど)り韓信をして袴下(こか)を匍伏(ほふく)せしめたことがある...
新渡戸稲造 「自警録」
...『淮南子』に〈巳の日山中に寡人と称せるは...
南方熊楠 「十二支考」
...支那ではごく古く『淮南子(えなんじ)』の斉俗訓にも『漢書』の食貨志(しょっかし)にも...
柳田国男 「家の話」
...淮陰(わいいん)の河畔へ陣をすすめていた...
吉川英治 「三国志」
...淮南(わいなん)の袁術(えんじゅつ)のほうへは...
吉川英治 「三国志」
...どんな顔をしたろう」淮南(わいなん)の使いを追い返したあとで...
吉川英治 「三国志」
...いよいよ面子(メンツ)もなく――最後の切札を選ぶとなれば――淮南(わいなん)の袁術(えんじゅつ)へすがって...
吉川英治 「三国志」
...「聞説(きくならく)――淮南(わいなん)の袁術(えんじゅつ)は...
吉川英治 「三国志」
...淮南(わいなん)の袁術(えんじゅつ)は...
吉川英治 「三国志」
...辛くも淮河(わいが)のふところをなしている一商港に上陸(あが)った...
吉川英治 「三国志」
...陣へもどったら郭淮(かくわい)にいえ...
吉川英治 「三国志」
...別に妙策がひとつあります」郭淮は...
吉川英治 「三国志」
...郭淮(かくわい)と孫礼のふたりにこう質問した...
吉川英治 「三国志」
...二郭淮と孫礼が惨たる姿で逃げ帰ってきたのを見ると...
吉川英治 「三国志」
...孔子が淮河(わいが)流域の蔡に行き...
和辻哲郎 「孔子」
便利!手書き漢字入力検索
この漢字は何でしょう??