...「一幅淞波(いっぷくのしょうは)誰剪取(たれかせんしゅせん)春潮痕(しゅんちょうのあとは)似嫁時衣(にたりかじのい)」とうたった詩人石(せきたい)翁をしてあの臼(うす)を連ねたような石がきを見せしめたら...
芥川龍之介 「松江印象記」
...「呉淞砲台(ウースンほうだい)のように...
海野十三 「空襲葬送曲」
...漢籍には「雨淞」とある...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...南市の半淞園(プーソンユ)に行きそれより三菱商事の招宴にて月廼家にて田中三菱商事支店長等と会食...
高浜虚子 「五百五十句」
...「呉淞(ウースン)鎮だ...
高見順 「いやな感じ」
...他の一つは呉淞クリイクを背景として...
辰野隆 「旧友の死」
...四月二日呉淞(ウースン)で碇泊(ていはく)している...
寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
...渋柿)二 ホンコンと九竜夜の八時過ぎに呉淞(ウースン)を出帆した...
寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
...閻若は四書釋地續に於て、朱子の説に從つて孟子が一時の誤記に出でたものとしたが、錢大は孟子ほどの人が禹貢を讀み能はなかつた筈がないといつて、呉淞江、錢唐江、浦陽江の三江さへ江の委であるから、五百里位の距離の淮口も江の下流とするに何の疑があらうといつて、從來學者が淮泗が江に入らぬ證據として擧げた禹貢の沿于江海、達于淮泗の二句を、反つて淮泗が江に注ぐの證とした、焦循の孟子正義は趙注の決、排兩字の注を據として、下流の注入でなく、上流の交會であると、巧妙に解釋したが、要するに皆禹貢が孟子より古く、孟子が之を見ぬ筈がないといふ前提から發したもので、本來は孟子の説が禹貢と違つて居ると見るのが穩當で、孟子は禹貢を知らなかつたと考へて差支ない譯である...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...次の日の午後(ひるすぎ)には呉淞(ウースン)の河口に入り...
永井荷風 「十九の秋」
...そして呉淞(ウースン)砲台の沖で...
平田晋策 「昭和遊撃隊」
...この間なんぞは鉄砲を積んで呉淞(ウースン)に這入りかけたら...
夢野久作 「焦点を合せる」
...日本人の多く住む米租界の呉淞路(ウウソンロ)を過ぎ...
與謝野寛、與謝野晶子 「巴里より」
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