...當時歩兵中尉であつた此浩一と婚約を結んだのであつた...
石川啄木 「鳥影」
...月三日の決め以外に払うことにしてついに私のとこではこれも浩さんに依頼したのであった...
犬田卯 「沼畔小話集」
...宇野浩二の奴、困つた奴だと思ひながら續きをつづけて讀んでゐるうちに、話はいつか芥川の作品についての感想批評に移つてゐた...
小穴隆一 「二つの繪」
...有吉等の一群の横に、高張の柱の影を受けた暗がりに、杉本浩は、卓子に肱をついて、ウイスキーの瓶を引寄せて、無言で、夢想に耽っていた...
豊島与志雄 「傷痕の背景」
...群集に馴れ親しんでいる矢野浩一だった...
豊島与志雄 「電車停留場」
...徐浩などの書風が影響したのであります...
内藤湖南 「弘法大師の文藝」
...だから蠢めいているなどと云う下等な動詞は浩さんに対して用いたくない...
夏目漱石 「趣味の遺伝」
...何ですと聴いたら浩一の日記ですと云う...
夏目漱石 「趣味の遺伝」
...浩さんの墓は古いと云う点においてこの古い卵塔婆(らんとうば)内でだいぶ幅の利(き)く方である...
夏目漱石 「趣味の遺伝」
...浩養軒へ行き、服部良一と会って、食事して座へ帰る...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...こうした事情で明治政府から筑前閥がノックアウトされたという事が、その後(のち)に於ける頭山満、平岡浩太郎、杉山茂丸、内田良平等々の所謂、福岡浪人の濶歩(かっぽ)の原因となり、歴代内閣の脅威となって新興日本の気勢を、背後から鞭撻しはじめた...
夢野久作 「近世快人伝」
...岩形圭吾と名乗って自殺した志村浩太郎という人が...
夢野久作 「暗黒公使」
...その志村浩太郎様の残念なお心持ちが...
夢野久作 「暗黒公使」
...浩歌宜放悶...
與謝野寛・與謝野晶子 「満蒙遊記」
...浩然(こうぜん)の気を養おう」一僕を連れて...
吉川英治 「三国志」
...夏侯尚も、韓浩も、ともに乗馬さえ見当らず、辛うじて徒歩で逃げて、一夜のうちに、せっかく取った陣のうち、三ヵ所まで奪取され、死傷の数もおびただしく生じた...
吉川英治 「三国志」
...韓浩が討たれたのを見て力を失い...
吉川英治 「三国志」
...たまには浩濶(こうかつ)な気を養ってよろしいものと存じます」「さよう」「願わくば...
吉川英治 「鳴門秘帖」
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