...利根運河上には多くの橋が架かっています...
...筑豊出身の有名人には、萩原朔太郎や河上肇がいます...
...この私の言葉に対して河上氏はいった...
有島武郎 「宣言一つ」
...河上氏がそうであるごとく...
有島武郎 「宣言一つ」
...丹波(たには)の河上の摩須(ます)の郎女(いらつめ)に娶ひて...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...また鳥取(ととり)の河上の宮七にましまして...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...また鳥取(ととり)の河上(かわかみ)の宮においでになつて大刀一千振(ふり)をお作りになつて...
稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 「古事記」
...赤いシンパとして獄中にある河上肇博士の告白にうたれた...
種田山頭火 「行乞記」
...両国橋の上から河上を流れる絃歌の声を聞いて翻然大悟しその場から盗賊に転業したという話があるくらいだから...
寺田寅彦 「電車と風呂」
......
戸坂潤 「辞典」
...いや気の毒な事で――母はまだあるはずじゃが……」と一人で弁ずる河上一家(いっけ)の事を聞くつもりなら...
夏目漱石 「趣味の遺伝」
...「河上? 河上にも今御話しする通り何人もある...
夏目漱石 「趣味の遺伝」
...とうとう河上方を破談にしたな...
夏目漱石 「趣味の遺伝」
...三好達治が入院したのはその頃で、河上と一二度、故嘉村礒多と一度見舞ひに行つたが、多少の自責を感じた...
牧野信一 「交遊記」
...下の露路に、河上徹太郎が、ぼんやりとたゝずむでゐるのが薄霧のなかに見えた...
牧野信一 「春」
...保田与重郎は『コギト』を出し(雑誌)日本ロマン派の理論家であるが、この頃は王朝時代の精神、万葉の精神ということを今日の文学に日本的なものとして提唱し、そのことでは林、小林、河上、佐藤春夫、室生犀星等同じです...
宮本百合子 「獄中への手紙」
...皆河上で突つ立つて眼前に駢列して居つて...
柳田國男 「潟に關する聯想」
...二条天皇の朝(ちょう)、後白河上皇の院、二つの政廟(せいびょう)の下に、藤原信西入道(しんぜいにゅうどう)が、保元以後、頭角をあらわして、ようやく、独裁者らしい強権を振舞っていました...
吉川英治 「随筆 新平家」
...肥後の河上彦斎(かわかみげんさい)とか...
吉川英治 「松のや露八」
...併し彼の送った最後の探検隊は未だなおニヂェル河上流地方を目ざしたものに過ぎなかった...
和辻哲郎 「鎖国」
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