...けれども、呆けてお遊びになつてゐるやうでも、やはり、将軍家のお力でなければ、どうしても出来ない事もございまして、建保二年の五月から六月にかけての大旱魃の折には、鶴岳宮に於いて諸僧が大勢で連日雨乞の御祈を致しましたが、わづかに白雲が流れて幽かな遠雷が聞えただけで、一滴の雨も降りませんでしたのに、六月三日、将軍家が御精進御潔斎なされて法華経を一心に読誦いたしましたところが、翌朝から、しとしとと慈雨が降りはじめまして、むかし皇極女帝の御時、天下炎旱に悩み、諸方に於いて雨乞の祈祷があつたけれども何の験も無きゆゑ、時の大臣、蘇我蝦夷みづから香炉を捧げて祈念いたしましたさうで、それでも空はからりと晴れ渡つたままで、一片の白雲もあらはれず、蝦夷は大いに恥ぢて、至尊に御祈念下されるやうお願ひ申しましたので、すなはち玉歩を河辺に運ばせられ、四方を御拝なされるや、たちまち雷電、沛然と大雨あり、ために国土の百穀豊稔に帰したとか、一臣下たる将軍家の事などは、もちろんその尊い御治蹟とは較べものにも何も、もつたいなくて出来るものでございませぬが、純正無染の心で祈願いたしたならば必ずや天に通ずるものがあるらしく、それは不徳の僧侶や蝦夷大臣などには出来ぬ道理で、風流の御遊興に身をやつして居られても、やはり将軍家には高い御品性がそなはつていらつしやるのだらうと、急に御評判がよろしくなつて、同じ月の十三日には、将軍家がその頃の頻々たる天変地異に依る関東一帯の不作をお見越しなされて、年貢の減免を仰出され、いよいよ御高徳を讃嘆せられ、また、時々は、ふいと思ひ出されたやうに前庭に面してお出ましなされ、さまざまの下民の直訴に、終日、黙々とお耳を傾けて居られる事などもございましたけれども、しかし、すぐにまたお遊びの御計画をおはじめになり、もとはお口の重いお方でございましたのに、やや御多弁になられたやうでもあり、お顔も以前にくらべてすこしお若くなつたやうにさへ見受けられました...
太宰治 「右大臣実朝」
...四十八萬兩を以て人民を四方に流離顛沛させて...
田中正造 「土地兼併の罪惡」
...夕刻大雨沛然...
永井荷風 「断腸亭日乗」
...沛然として降る三日...
長塚節 「長塚節歌集 中」
...傾く展望はために天末線(スカイライン)を重沛のやうに沈澱したのだ...
逸見猶吉 「逸見猶吉詩集」
...そしてわずかに近郷の小沛(しょうはい)という一村を受けて...
吉川英治 「三国志」
...小沛(しょうはい)から出てきて登城した...
吉川英治 「三国志」
...小沛にある劉玄徳(りゅうげんとく)は...
吉川英治 「三国志」
...ほどなく小沛へ帰って行った...
吉川英治 「三国志」
...玄徳は、好意を謝し、別れようとすると、曹操は、呂布のいないのを見すまして、「……君を、小沛に置くのは、虎狩りの用意なのだ...
吉川英治 「三国志」
...それより前に小沛を脱出していた劉玄徳の急使は...
吉川英治 「三国志」
...小沛まで詰め寄せてきた...
吉川英治 「三国志」
...玄徳の小沛勢は小勢である...
吉川英治 「三国志」
...この小沛の城に籠めて自身は...
吉川英治 「三国志」
...沛県(はいけん)の敬文...
吉川英治 「三国志」
...高沛のふところからも短剣があらわれた...
吉川英治 「三国志」
...沛然(はいぜん)たる大雨は...
吉川英治 「新書太閤記」
...徐州(じょしゅう)沛県(はいけん)の芒蕩山(ぼうとうざん)へ出撃して行った...
吉川英治 「新・水滸伝」
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