...沒義道にも私の抱擁を飛びぬけて...
有島武郎 「秋」
...此地に引移つた永祿三年(一五六〇年)から沒落の承應三年(一六五四年)までは百年近くなるが...
石川三四郎 「浪」
...學者とか教育家とか謂はれる連中の沒分曉な我田引水論となると...
石川啄木 「文藝中毒」
...重者滅二其門戸及親族一の滅を宋本は沒に親を宗に作れり亦從ふべし...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...みそ萩(はぎ)の側(そば)には茶碗(ちやわん)へ一杯(ぱい)に水(みづ)が沒(く)まれた...
長塚節 「土」
...近頃人も無げに出沒する怪盜――風の如く去來するから世間では風太郎と言つて居りますが――には全く手を燒いてしまひました...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...假りにかかる必然性が理論的確實性を得たとしても、この意味における必然的事實としての死は、單に理論的に從つて冷靜に認識される客體であるに止まり、吾々が自ら生きる生の意義に對しては、原理的には、沒交渉である...
波多野精一 「時と永遠」
...藝術本來の性質とは沒交渉である!この二つの見方は...
平林初之輔 「政治的價値と藝術的價値 マルクス主義文學理論の再吟味」
...「すつかり沒頭しました――えゝ...
ブロンテイ 十一谷義三郎訳 「ジエィン・エア」
...そしてそれに應じて意識は我々の現實の生活から益埋沒し...
三木清 「唯物史観と現代の意識」
...救ふ可(べか)らざる沒分曉漢(わからずや)は別として...
水上瀧太郎 「貝殼追放」
...沒分曉(わからずや)の批評家は...
水上瀧太郎 「貝殼追放」
...逍遙子が詩文に對する沒却理想は審美上の立言なることは疑ふべからず...
森鴎外 「柵草紙の山房論文」
...逍遙子が「ドラマ」の旨なりとする沒却理想と逍遙子が「ドラマ」の體なりとする沒評とは並び存することゝ並び存ぜざることゝありて一樣ならず...
森鴎外 「柵草紙の山房論文」
...「ドラマチスト」即沒理想詩家の義を沒評詩家とも無理想詩家とも解すべかりしなり...
森鴎外 「柵草紙の山房論文」
...中ごろ説いたる沒却理想にもあらざること分明なればなり...
森鴎外 「柵草紙の山房論文」
...是れ早稻田文學の沒却理想なりき...
森鴎外 「柵草紙の山房論文」
...焉んぞ能く名聲を後世に施して湮沒せざることを得可けんや...
箭内亙訳註 「國譯史記列傳」
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