...代官としては日記永正元年の条に...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...かくて永正の初年には遂に全く無音となり...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...永正二年に納付のあった節も同断である...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...永正七年の春にはその年の分を前借したらしいが...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...しかして日記永正八年七月の条に天王寺商人からして...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...翌永正十三年春の花が散ると間もなく...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...ただし永正三年に売った時には...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...永正五年には氏親から実隆への贈与金二千疋を取り次いだことがある...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...されば永正七年には隼人のみならず...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...永正九年閏四月には...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...伊勢の北畠と実隆との音信も、またこの音一の取次であったろうと思われるのは、永正七年五月、音一が伊勢に下向せんとした時、実隆がこれに木造ならびに龍興寺宛の書状を託したのに、同年七月北畠家からして任官の礼だといって、五百疋を贈ってきているからである...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...蝦夷ヶ島から戻ってのち実隆に謁したのは永正四年で...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...余勢なほいまだ衰へざる永正(えいしょう)...
正岡子規 「古池の句の弁」
...山崎の宗鑑と山田の守武とは共に永正...
正岡子規 「古池の句の弁」
...永正三丙寅と承安元辛卯...
南方熊楠 「十二支考」
...日本にも永正元年武州に鼠多く出て...
南方熊楠 「十二支考」
...伊勢守秀綱は、永正七年の生れ、その時五十七歳にあたる...
吉川英治 「剣の四君子」
...他の――平安朝期の鍍金仏器、永正古図、薬師後背仏、永享七年銘の鉄鉢(てつばち)、磐梯明神田植絵巻などという奈良京都の列へ持ち出しても遜色のない歴乎とした寺宝のこけんにかかわるというものである...
吉川英治 「随筆 新平家」
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