...膝へ置いたのを見て「その永正祐定は...
直木三十五 「南国太平記」
...粗末ながら永正(えいしょう)の祐定(すけさだ)を一見さっしゃい」高部弥三次は...
中里介山 「大菩薩峠」
...新大典侍の方からして北方の地を割(さ)いてくれとの交渉が永正七年にあったのを見ると...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...永正六年には公条邸の南面に水門を掘らしめ築山をも造った...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...永正二年その中風で歿した時の条に...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...そのほか実隆が永正六年に雇った青侍に...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...永正元年には和泉屋すなわち四条烏丸太志万平次郎といえる者補任されて請文を出したとある...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...三条西家はわずかにその三分一をのみ取得としておったことが日記の永正三年四月の条に見え...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...かくて永正の初年には遂に全く無音となり...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...また永正五年には実隆たびたびの口入れが功を奏し...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...永正五年大内義興が義植将軍を奉じて入京し...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...永正三年には陳外郎から和韻を求められてこれを書し与えたとあり...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...永正六年氏親が黄金三両を実隆に送った時などは...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...伊勢の北畠と実隆との音信も、またこの音一の取次であったろうと思われるのは、永正七年五月、音一が伊勢に下向せんとした時、実隆がこれに木造ならびに龍興寺宛の書状を託したのに、同年七月北畠家からして任官の礼だといって、五百疋を贈ってきているからである...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...余勢なほいまだ衰へざる永正(えいしょう)...
正岡子規 「古池の句の弁」
...永正四丁卯(ひのとう)...
南方熊楠 「十二支考」
...躋寿館(せいじゆくわん)に永正中の鈔本の覆写本があつた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...もと、永正年間には、今川家が抑えていた所である...
吉川英治 「新書太閤記」
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