...永徳は永徳で、大雅堂は大雅堂で、宗達は宗達でそれぞれ実に立派な態度を以て絵に対しているのが、それを縮図しつつある私にこよなき鞭撻を与え、また勉強のかてともなるので、私は屏風祭が来るたびに、縮図が進むと進むまいとにかかわらず、ただ屏風絵の前に端坐出来たことの幸福を今もって忘れることが出来ない...
上村松園 「屏風祭」
...(東京で治療を受けていた医者は神田神保町(かんだじんぼうちょう)に暢春医院の札を出していた馬島永徳という学士であった...
永井荷風 「十六、七のころ」
...時代は永徳を現わさねばならぬようになっていたから...
中里介山 「大菩薩峠」
...秀吉はまた永徳のための御用建築家をつとめたとも言えるでしょう...
中里介山 「大菩薩峠」
...永徳の時代、友松(ゆうしょう)のあったことも記憶すべきだが、その子に山楽(さんらく)の出でたことこそ忘れてはなりませんよ...
中里介山 「大菩薩峠」
...その他の永徳を見て...
中里介山 「大菩薩峠」
...自分は永徳と信じたい――と語った...
中里介山 「大菩薩峠」
...天下無二の宝が数知れず宝蔵の中に唸(うな)っているには相違ないが――貴殿御執心の永徳よりも...
中里介山 「大菩薩峠」
...あこがれの狩野永徳にも見参ができるし...
中里介山 「大菩薩峠」
...永徳でなければならないという見識も主張もないのですから...
中里介山 「大菩薩峠」
...永徳や応挙の虎は丸々と肥っている...
山本笑月 「明治世相百話」
...周囲の厚い金泥の襖(ふすま)は永徳(えいとく)風の絢爛(けんらん)な花鳥で息苦しさを感じるほどであった...
横光利一 「比叡」
...金碧(きんぺき)や丹青(たんせい)の燦(かがや)くうちにただ一つある墨絵の一室――狩野永徳(かのうえいとく)が画くところという遠寺晩鐘図(えんじばんしょうず)の襖(ふすま)をめぐらした部屋の上段から大きく聞えた...
吉川英治 「新書太閤記」
...(永徳...
吉川英治 「新書太閤記」
...永徳も、そこの縁の端から、奥をのぞいて、かれが画心をもって自然を見るときのような眼で、じっと、眸(ひとみ)をすましていた...
吉川英治 「新書太閤記」
...永徳ですが」「お師匠(ししょう)さまでいらっしゃいますか」と...
吉川英治 「新書太閤記」
...永徳の家へ行っておれと仰っしゃいますので...
吉川英治 「新書太閤記」
...絵師になりたい志望でもないわけかの」狩野永徳は...
吉川英治 「新書太閤記」
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