...画壇においての永徳は...
中里介山 「大菩薩峠」
...松島には狩野永徳が待っている――扶桑(ふそう)第一とうたわれた...
中里介山 「大菩薩峠」
...ところが、永徳に限って、これが日本第一の、日本の美術の代表の画人だと、憚(はばか)りなく言うことができます」「永徳のドノ点がエライのです、どういう理由が日本一になるのです」「それを言うには……君たちを教育する意味に於ても、一通り日本の絵画史を頭に入れて置いてもらわなければならないが、そんなことをしている暇はないから、手っとり早く言えばですね、まず、ずっと上代では、絵画はすなわち仏画で、その仏画はみな神品といってよろしく、一とか二とか等級を附すべきものではないが、その神品たる仏画にしてからが、やっぱり支那というものの系統を、度外しては論ずることができないのです...
中里介山 「大菩薩峠」
...永徳を日本第一、古今独歩と私が推称するのは、大体そんなような理由ですが、もう少し、それを分析しないと、いくら素人(しろうと)でも、君たちにわかるまいと思うから……」ここで、また酒をとって飲みました...
中里介山 「大菩薩峠」
...松栄を父として生れた永徳が...
中里介山 「大菩薩峠」
...時代は永徳を現わさねばならぬようになっていたから...
中里介山 「大菩薩峠」
...もう少し永徳の後談(ごだん)を語らなければならない...
中里介山 「大菩薩峠」
...永徳を忘れてはならない――そういったような次第で...
中里介山 「大菩薩峠」
...動物画の名人列伝烏の糞と同居した暁斎古来動物の画では、古永徳、応挙、岸駒等の虎、祖仙の猿など有名で、明治になっては雅邦、翠石の虎、東皐、春草の猫、金鳳の狸、栖鳳の猿など聞えている...
山本笑月 「明治世相百話」
...狩野永徳(かのうえいとく)そのほか当代の巨匠(きょしょう)が筆(ふで)をそろえて鵞(が)の間...
吉川英治 「黒田如水」
...永徳はひとり自己の画派に偏せず...
吉川英治 「新書太閤記」
...権門(けんもん)の壁に生涯の業(ぎょう)をそそぐのは、時にふと、味気(あじけ)ない気がしないでもないのう」その日も、狩野永徳は、弟子の山楽をつれて、大坂城内の金碧(こんぺき)のふすまに、終日の労作を終えて、帰ったところだった...
吉川英治 「新書太閤記」
...――で、あわただしく、戻って来て、縁先に端居(はしい)している師の永徳に、そのままを告げてみると、永徳は、「来たか」と、迷惑な顔をした...
吉川英治 「新書太閤記」
...永徳はうなずいた...
吉川英治 「新書太閤記」
...永徳も、そこの縁の端から、奥をのぞいて、かれが画心をもって自然を見るときのような眼で、じっと、眸(ひとみ)をすましていた...
吉川英治 「新書太閤記」
...永徳の家へ行っておれと仰っしゃいますので...
吉川英治 「新書太閤記」
...絵師永徳にあずけた於通を...
吉川英治 「新書太閤記」
...狩野永徳(かのうえいとく)...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
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