...清兵衛(せいべえ)もむろん毛利輝元(もうりてるもと)について出陣(しゅつじん)せねばならぬ...
安藤盛 「三両清兵衛と名馬朝月」
...西の方で気になるのは毛利輝元であった...
薄田太郎 「広島という名の由来」
...毛利輝元は、病没した蜂須賀彦右衛門に代わって秀吉の意を伝える黒田孝高の忠言もあって、ついに平城の建設を決めた...
薄田太郎 「広島という名の由来」
...毛利輝元が広島城に移るとき...
薄田太郎 「広島という名の由来」
...今試みに渡辺世祐博士の「稿本石田三成」に依ってそれらの異説を列挙すると、隼人正は関ヶ原合戦の当時佐和山にいたのではなく、毛利輝元、増田長盛、長束正家等の嫡子(ちゃくし)と共に人質として大坂城内にいたのであるが、一説には、九月十九日の夜、乳母(うば)や津山甚内と云う武士に扶(たす)けられて大坂を逃れ、京都に来て妙心寺の寿聖院に入ったので、寺からその旨を所司代(しょしだい)奥平信昌に届け出たところ、やがて家康から助命の沙汰が下った...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...後毛利輝元(もうりてるもと)に属して...
森鴎外 「椙原品」
...敵毛利輝元へつつぬけの状態となり...
吉川英治 「黒田如水」
...ふたたび協力を芸州吉田の毛利輝元へ申し送った...
吉川英治 「黒田如水」
...吉川元春なりあわよくば毛利輝元なりと...
吉川英治 「黒田如水」
...やがて毛利輝元の水軍が大挙して摂津の岸へ上がって来るという――謀反前からの誓約を恃(たの)んでいるものにちがいない――と...
吉川英治 「黒田如水」
...しかるに、すでに半年以上も経つが、毛利輝元以下、吉川(きっかわ)、小早川(こばやかわ)の大軍が、兵船をつらねて来るというその第二戦線は、いっこう何処にも実現されない...
吉川英治 「黒田如水」
...毛利輝元の政略にも参与(さんよ)しておる人物です...
吉川英治 「新書太閤記」
...――吉川元春は美作(みまさか)から、また毛利輝元も、備中松山に陣をすすめ、四月近くには、全軍、播磨(はりま)へ向って、行軍を急にしていた...
吉川英治 「新書太閤記」
...寄手の総大将毛利輝元へ宛てて降伏状を書いた...
吉川英治 「新書太閤記」
...毛利輝元(てるもと)自身も...
吉川英治 「新書太閤記」
...主将毛利輝元にしても...
吉川英治 「新書太閤記」
...光秀から毛利輝元へあてた一書を受け...
吉川英治 「新書太閤記」
...両川は毛利輝元の前にこれを伝えていた...
吉川英治 「新書太閤記」
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