...殷々(いんいん)たる砲撃を開始した...
海野十三 「空襲葬送曲」
...僕等はニューヨークの殷賑(いんしん)を想像しながら無数の摩天閣の聳ゆる市街を眺めても...
辰野隆 「パリの散策」
...それによってすぐに殷代のものであることが帰結せられるかどうかは疑わしいし...
津田左右吉 「日本に於ける支那学の使命」
...クロニーオーン納受して*殷雷遠く轟かす...
ホーマー Homer 土井晩翠訳 「イーリアス」
...殷が失つたので周になつて來たといふので...
内藤湖南 「支那歴史的思想の起源」
...一つはこれは、今日尚書を読んで見ますといふと、勝利者である所の周が、失敗者であると言つてもまだ非常な實力を有つて居つた殷人に對して、お前の國の殷も、前代の夏の政が衰へたが爲に取つて代つたのでないか、お前の國が天命を失ふと吾が國が天命を得てそれに代るといふことは當り前のことだ、といふ風に因果を含めて聞かす爲の當時の政策とも見えますけれども、ともかくさういふ風に、三代變化があつたといふことは、それは歴史的思想としては當時餘程重要なことであつたらうと思ひます...
内藤湖南 「支那歴史的思想の起源」
...それから以後の殷周の革命に及んで居りますから...
内藤湖南 「支那歴史的思想の起源」
...又孔子は殷の血統を引いてゐる人である...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...史記の殷本紀の湯誥に三后は其后皆立つこと有りと言へる如き思想が餘程一般に行はれたものゝやうである...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...今日も遠く殷々(いんいん)たる砲声が聞える...
中島敦 「光と風と夢」
...周(しゅう)の武王(ぶおう)が殷(いん)の紂王(ちゅうおう)を伐(う)たんと出征したとき...
新渡戸稲造 「自警録」
...殊にガンベッタ廣場からグラン・テアトルへかけての大通などはパリの殷賑を持つて來たかと思へるほどの人通りが見られた...
野上豐一郎 「大戰脱出記」
...(第四十五圖(だいしじゆうごず))第四十五圖 支那朝鮮新石器時代石器(1)―(11)支那滿洲(12)―(15)朝鮮(16)支那(殷墟)(17)―(18)同上骨器さて...
濱田青陵 「博物館」
...一時はあれほど殷賑(いんしん)をきわめた夜の逃亡も...
原民喜 「壊滅の序曲」
...帝都や省の首府や最も商業殷賑な箇所においてその数は最も著しいが...
トマス・ロバト・マルサス Thomas Robert Malthus 吉田秀夫訳 「人口論」
...殷(いん)の紂王(ちゅうおう)にすら仕えていました...
吉川英治 「三国志」
...大坂の殷賑(いんしん)は...
吉川英治 「新書太閤記」
...周は殷の礼に因る...
和辻哲郎 「孔子」
便利!手書き漢字入力検索