...続いて殷々(いんいん)と雷(いかずち)が鳴った...
芥川龍之介 「素戔嗚尊」
...』長野が牛の様な身体を殷懃(いんぎん)に運んで机の前に出て...
石川啄木 「病院の窓」
...殷々(いんいん)たる砲撃を開始した...
海野十三 「空襲葬送曲」
...290更に人口殷賑の都城七つを贈るべし...
ホーマー Homer 土井晩翠訳 「イーリアス」
...恐らく最初は殷中也だけであつたのが...
内藤湖南 「爾雅の新研究」
...今殷墟の遺物で見れば...
内藤湖南 「支那古典學の研究法に就きて」
...その學派が殷の末孫たる宋に起つたに拘らず...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...此に由つて觀れば尚書にて周書の前に殷に關する諸篇を置くことは...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...郁芳皇嘉殷富達智の四門には...
中山太郎 「穀神としての牛に関する民俗」
...(第四十五圖(だいしじゆうごず))第四十五圖 支那朝鮮新石器時代石器(1)―(11)支那滿洲(12)―(15)朝鮮(16)支那(殷墟)(17)―(18)同上骨器さて...
濱田青陵 「博物館」
...大正末から昭和初頭の寄席不況時代も大阪の落語界はかなりに殷賑(いんしん)をきわめていた(事変後急に漫才を重点的に起用しだしてからこの東西の位置は顛倒(てんとう)しだし...
正岡容 「わが寄席青春録」
...殷鑑遠からず所謂鏡花會の人々の中などには鼻持ちもならぬ氣障(きざ)な代物(しろもの)が多いさうである...
水上瀧太郎 「貝殼追放」
...殷紂は暴虐なりと雖も...
箭内亙訳註 「國譯史記列傳」
...遼東の人で殷馗(いんき)という予言者が村へきたとき申しました...
吉川英治 「三国志」
...なお殷(いん)に仕えていたので...
吉川英治 「三国志」
...支那第一の陶府(とうふ)といわれるほど殷賑(いんしん)を極めていた...
吉川英治 「新書太閤記」
...女房の弟の殷直閣(いんちょっかく)という青二才が...
吉川英治 「新・水滸伝」
...いわゆる六街三市の人口やその殷賑(いんしん)は...
吉川英治 「新・水滸伝」
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