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竹久夢二 「桜さく島」
...八津は死出(しで)の旅路(たびじ)についたのである...
壺井栄 「二十四の瞳」
...死出(しで)の山路(やまぢ)の裾野(すその)なる...
中里介山 「大菩薩峠」
...花は散りても春は咲く鳥は古巣へ帰れども行きて帰らぬ死出の旅七お玉の家のあるところは...
中里介山 「大菩薩峠」
...「往きて還らぬ死出の旅」そこで...
中里介山 「大菩薩峠」
...死出の旅からでもさまよい出して来たもののような...
中里介山 「大菩薩峠」
...死出のあこがれがないのです...
中里介山 「大菩薩峠」
...往きて帰らぬ死出の旅――おっつけ...
中里介山 「大菩薩峠」
...恨めしかりし車の紋は澤瀉、闇なれども見とめたりし面かげの主に恨は必らず返へせど、情ある方々に御恩報じの叶ふべき我れならずさらば免るし給へと身を起すに足もと定まらず、よろ/\とするを、扨もあぶなし道理(わけ)のわからぬ奴(やつ)め、親がなしとても其身は誰れから貰ひしぞ、さる無造作に粗末にして濟むべきや、汝ごとき不了簡ものゝ有ればこそ、世上の親に物おもひは絶えざるなれと、我れも一人もちたる子に苦勞したりし佐助が、人事ならず氣づかはしさに叱りつけて坐らすれば、男は又もや首うなだれて俯(うつ)ぶく逆上してをかしき事を言ふらしければ、今宵一夜こゝに置きて、ゆる/\睡らせたしと老婆もいふに、男は老夫婦(ふたり)にまかせてお蘭は我が居間に戻りぬ(その三)籬にからむ朝顏の花は一朝の榮へに一期の本懷をつくすぞかし、我身に定まりたる分際を知らば、爲らぬ浮世に思ふことあるまじく、甲斐なき悶に膓にゆべしやは、さても祖父の世までは一郷の名醫といはれて、切棒の駕籠に畔ゆく村童(わらべ)まで跪(ひざまづ)かせしものを、下りゆく運は誰が導きの薄命道、不幸夭死の父につゞきて、母は野中の草がくれ妻とは言はれぬ身なりしに、浮世はつれなし親族(みより)なりける誰れ彼れが作略に、爭そはんも甲斐なや亡き旦那樣こそ照覽ましませ、八幡いつはりなき御胤(たね)なれども、言ひ張りてからが欲とやいはれん卑賤の身くやしく、涙をつゝみて宿に下りしは此子胎内にやどりて漸く七月、主樣うせての二七日なりける、さるほどに狹きは女子の心なり、恨みにつもる世の中あぢきなく成りて、死出の山踏み、今日や明日やと祈れば、さらでもの初産に血のさわぎ烈(はげ)しく、うみ落せし子の顏もゑしらで、哀れ二十一の秋の暮一村しぐれ誘はれて逝きぬ、東西しらぬ昔しより父なく母なく生立ば、胸毛に埋もれし祖父の懷中(ふところ)より外に世のあたゝかさを身に知らねば、春風氷をとく小田のくろに里の童が遊びにも洩れて、我れから木がくれのひねれ物に強情いよいよつのれば、憐れをかくるは祖父一人、世間の人に憎くまるゝほど、不憫や親のなき子は添竹のなき野末の菊の曲がるもくねるも無理ならず、不運は天にありて身から出たる罪にもあらぬを親なし子と落しめる奴原が心は鬼か蛇か、よし我等が頭に宿り給ふ神もなく佛もなき世なるべし、世間は我等が仇敵(かたき)にして、我等は遂に世間と戰ふべき身なり、祖父(ぢい)なき後は何處にゆきても人の心はつれなければ、夢いさゝかも他人に心をゆるさず、人我れにつらからば我れも人につらくなして、とても憎くまるゝほどならば生中(なまなか)人に媚びて心にもなき追縱に、破れ草韃の蹈つけらるゝ處業は爲(す)なとて、口惜し涙に明暮の無念はれまなく、我が孫かはゆきほど世の人にくければ、此子(これ)が頭に拳(こぶし)一つ當てたる奴は、假令(たとへ)村長どのが息子にもせよ理非はとにかく相手は我れと力味たつ無法の振舞漸くつのれば、もとより水呑百姓の痩田一枚もつ身ならぬに、憎くき老耄(おひぼれ)が根生骨、美事通して見よやと計、田地持に睨まれたるぞ最期、祖父孫二人が命は風にまたゝく殘燈(ありあけ)の、言はんも愚かや消ゆるは定なり娘が死亡(うせて)の十三回忌より老爺は不起の病にかゝりぬ、觀念の眼かたく閉ぢては今更の醫藥も何かはせん、哀れの孫と頑なの翁と唯二人、傾きたる命運を茅屋(わらや)が軒の月にながめて、人聞かば魂(たま)や消(け)ぬべき凄(すご)く無慘の詞を殘して我れは流石に終焉みだれず、合唱すべき佛もなしとや嘲けるが如き笑みを唇に止めて、行衞は何方(いづく)ぞ地獄天堂、三寸息たえて萬事休みぬ殘りし孫ぞ即ち今日の高木直次郎、とる年は十九、積もりし憂さは量るも哀れや、仰げば高き鹿野山の麓をはなれ、天羽郡と聞えし生れ故郷を振すてけるより、おのれやれ世に捨られ物の我れ一身を犧牲に、こゝ東京に醫學の修業して聞つたへたる家の風いざや、とばかり、母と祖父との恨を負ひて誰れにか談合(はから)ん心一つを杖に、出し都會(みやこ)に人鬼はなくとも何處の里にも用ひらるゝは才子、よしや輕薄の誹りはありとも、口振怜悧に取廻しの小器用なるを人喜ぶぞかし、孟甞君今の世にあらばいざ知らず、癖づきし心は組糸をときたる如く、はても無くこぢれて微塵(みぢん)愛敬のなきに、仕業も拙なりや某博士誰れ院長の玄關先に熱心あふるゝ辨舌さはやかならず、自身(みづから)食客の糶(せり)賣したりとて、誰れかは正氣に聞くべき何處にも狂氣あつかひ情なく、さる處にて乞食とあやまたれし時、御臺處に呼こまれて一飯の御馳走下しおかれしを、さりとは無禮失禮奇怪至極と蹴かへす膳部に一喝して出ぬ野猪(しゝ)に似たりし勇のみあふれて、智惠は袋の底にや沈みし、誰が目に見ても看板うつて相遠なき愚人と知らるれば、流石に憐れむ人も有りて心は低(ひく)くせよ身をおしむな、其身に合ひたる勞働(はたらき)ならば夫れ相應に世話しても取らすべしとて、湯屋の木拾ひ、蕎麥屋のかつぎ、權助庭男の數を盡して、一年がほどに目見への數は三十軒、三日と保たず隨徳寺はまだ宣し、内儀(かみさま)がじやらくらの(びん)たぼ胸わるやと、張仆して馳出けるもあり、旦那どのと口論のはては腕だての始末むづかしく、警察(けいさつ)のお世話にも幾度とかや、又ぞろ此地(こゝ)も敵の中と自ら定めぬ木賃宿とて燈火くらき塲末の旅店に帳つけといふ物して送りける昨日今日、主人が輕侮の一言に持病むらむらとして發(おこ)れば、何か堪(こら)へん筆へし折りて硯を投(なげ)つけつ、さして行手は東西南北、臥すや野山の當もなき身に高言吐ちらして飛び出せば、それよりの一飯も如何はすべき、舌かみ切て死なん際まで人の軒ばに立つ男ならねば、今日も暮れぬる入相の鐘に、さても塒をしらぬ身は旅烏(たびがらす)にも劣りつべく、來るともなく行くともなく、よろめき來たりし松川屋敷の表門、驚破(すは)といふ間に引過し車ぞ佐助も見たりし澤瀉(おもだか)の紋なる(その四)此處に助けられける夜より三日がほどを夢に過ぐせば、記憶はたしかならねど、最初(はじめ)の夜みたりし女菩薩枕のもとにありて介抱し給ふと覺しく、朧氣ながら美くしき御聲になぐさめられ、柔らかき御手に抱かるゝ我れは宛然(さながら)天上界に生れたらん如く、覺めなば果敢なや花間の蝴蝶、我れは人かの境に睡りぬ浮世の中の淋しき時、人の心のつらき時、我が手にすがれ我が膝にのぼれ、共に携へて野山に遊ばゞや、悲しき涙を人には包むとも、我れにはよしや瀧津瀬も拭ふ袂は此處にあり、我れは汝が心の愚かなるも卑しからず、汝が心の邪(よこしま)なるも憎くからず、過にし方に犯したる罪の身を苦しめて、今更の悔みに人知らぬ胸を抱かば、我れに語りて清しき風を心に呼ぶべし、恨めしき時くやしき時はづかしき時はかなき時、失望の時、落膽の時、世の中すてゝ山に入りたき時、人を殺して財を得たき時、高位を得たき時高官にのぼりたき時、花を見んと思ふ時月を眺めんと思ふ時、風をまつ時雲をのぞむ時、棹さす小舟の波の中にも、嵐にむせぶ山のかげにも、日かげに踈き谷の底にも、我身は常に汝が身に添ひて、水無月の日影つち裂くる時は清水となりて渇きも癒(いや)さん、師走の空の雪みぞれ寒き夕べの皮衣とも成ぬべし、汝は我と離るべき物ならず、我れは汝と離るべき中ならず、醜美善惡曲直邪正、あれもなし、これもなし、我れに隱くすことなく我れに包むことなく、心安く長閑に落付きて、我が此腕(かいな)に寄り此膝の上に睡るべしと、の給ふ御聲心耳にひゞく度(たび/\)に、何處の誰れ樣ぞ斯くは優しの御言葉と伏拜む手先ものに觸れて、魂(たましひ)我れにかへれば苦熱その身に燃ゆるが如かりし斯くて眠りつ覺めつ覺めつ眠りつ、今日ぞ一週といふ其午後(ひるすぎ)より我れとおぼえて粥の湯のゆくやうに成りぬ、やかましけれども心切あふるゝ佐助翁が介抱、おそよが待遇、いづれもいづれも心付きては涙こぼるゝ嬉しの人々に、聞けば病中の有樣の亂暴狼藉、あばれ次第にあばれ、狂ひ放題くるひて、今も額に殘るおそよが向ふ疵は、我が投げつけし湯呑の痕と説明(とか)れて、微塵(みぢん)立腹氣もなき笑顏氣の毒に、今更の汗腋(わき)下を傳へば後悔の念かしらにのぼりて、平常(つね)の心の現(あら)はれける我れ恥かしく、さても何如なる事をか申たる、お前樣お二人の外に聞かれし人は無きかと裏どへば、佐助大笑ひに笑ひて、聞かせたしとても人氣のござらねば、耳引たつるは天井の鼠か、壁をつたふ蜥蝪(いもり)、我と二人にお孃樣をおきては此大伽藍に犬の子のかげも無く、一年三百六十五日客の來ることなく客に行くことなく、無人屋敷の夫れに心配は無けれど、氣の付かれなば淋しさに堪へがたく、今までの夢なりし代りに今宵よりは瞼ふつに合はず、寢られぬ枕に軒の松風、さりとは馴れぬ身に氣の毒やとあれば、そのお孃樣と聞まするは何時(いつ)も枕邊(ここ)に御出(おいで)たるお人か、いかにも其通りと言はれて、さらば夢にも非ざりけり現か、優しき御聲に朝夕を慰さめ給ひしは、夢か、御膝に抱き給ひしは、正氣づきゆく日數にそへて、目前(まのあたり)お蘭さまと物いふにつけて、分らぬ思ひは同じ處を行めぐり行めぐり、夢に見たりし女菩薩をお蘭さまと爲(す)れば、今見るお蘭さまは御人かはりて、我れに無情(つれなし)となけれど一重隔ての中垣や、きつとして馴れがたき素振は何として御手にすがらるべき、何として御膝にのぼらるべき、悲しき涙を拭(ぬぐ)へと仰せられし、お袖の端(はし)の端(はし)の端(はし)にも、我が手のもしも觸れたらば恥かしく恐ろしく我身はふるへて我が息(いき)はとまりぬべく、總じて夢中に見(まみ)へし女(ひと)は嬉しく床しくなつかしく、親しさは我れに覺えなけれど母のやうにも有りけるを、現在のお蘭さまは懷かしく床しきほかに恐ろしく怕きやうにて、身も心も一躰(ひとつ)になどゝ懸けても仰せられんことか、見たりしには異(こと)なる島田髷に、美相は斯くぞ覺えし夢中の面影をとどめて、御聲も斯くぞ有し朝夕の慰問うれしけれど、思へば此處も他人の宿なり、心はゆるすまじき他人の宿なり、いざさらば行かん此優しげなるお蘭樣が許(もと)をも辭して(その五)さらば行かんと思ひたちしより直次郎、しばしも待たぬ心は弦(つる)をはなれし矢の樣に一直線(すぢ)にはしりて此まゝの御暇ごひを佐助に通じてお蘭さまにと申上れば、てもさてもと驚かれて、鏡を見たまへ未だ其顏色(いろ)にて何處へ行かんとぞ、強情は平時(つね)のこと病ひに勝てぬは人の身なるに、其やうな氣みじかは言はで心靜かに養生をせであらんやは、最初(はじめ)よりいひしやうに此家(こゝ)には少しも心をおかず遠慮もいらず斟酌も無用にして、見かへす樣な丈夫の人になりてたまはらば嬉しかるべし...
一葉 「暗夜」
...生死出離(しょうじしゅつり)の大問題ではない...
正岡子規 「病牀六尺」
...「何の入道、死出の道は、追ッつけ一つであろうぞ...
吉川英治 「上杉謙信」
...果てなき死出の道へ通って行く...
吉川英治 「大岡越前」
...「死出の道づれに...
吉川英治 「三国志」
...……オオ死出の道...
吉川英治 「私本太平記」
...死出のお門立(かどた)ち遊ばしませ」と...
吉川英治 「新書太閤記」
...死出の旅は長い! 剣山へ来たよりは遠い! そして静かで果てというものがない」父に会った歓(よろこ)びの絶頂に...
吉川英治 「鳴門秘帖」
...一つ……終日(ひねもす)食わず夜もすがら寝覚(ねざ)めに思う益もなし二つ……ふた心なき武士(もののふ)の一番槍にしおで首三つ……三度諫(いさ)めて聞かざれば腹に窓あけ死出の旅二芸妓(おんな)は呼ばずに...
吉川英治 「松のや露八」
...死出の道づれになるのは誰も嫌だった...
吉川英治 「宮本武蔵」
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