...徳川時代を通じておこなわれていた「武鑑(ぶかん)」について...
服部之総 「武鑑譜」
...あらためて武鑑をひっくりかえすまでのことはない...
久生十蘭 「顎十郎捕物帳」
...その五有信の父旗本伊沢四世吉兵衛正久は、武鑑を検するに、元禄二年より書院番組頭、十四年新番頭、十五年より小姓組番頭、宝永四年より書院番頭を勤め、叙爵せられて播磨守と云ひ、享保十七年には寄合になつてゐた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...武鑑を検すれば、奥医師に「養安院法印、千九百石、きじはし通小川町」があり、奥詰医師に「曲直瀬正隆、父養安院、二十人扶持、きじはし通」がある...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...」此二者は武鑑に見えてゐる...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...武鑑を検するに本庄近江守は「御詰並...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...武鑑を検するに、岡部氏の上屋敷は山王隣、中屋敷は霞関、下屋敷は渋谷である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...武鑑は同時に「御目見医師...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...武鑑は安政三年に「辻元為春院法印...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...丁巳以後の武鑑には...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...武鑑は二年前丁巳に至るまで宗家の「御寄合医師...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...」並に辛酉の武鑑に見えてゐる...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...多く「武鑑」を蔵していたということを...
森鴎外 「渋江抽斎」
...「お父うさんは「武鑑」を集めてお出(いで)でしたか」とかいうのは...
森鴎外 「渋江抽斎」
...「古武鑑」や古江戸図をも蒐集して...
森鴎外 「渋江抽斎」
...わたくしの蔵している嘉永二年の「武鑑」には...
森鴎外 「渋江抽斎」
...「武鑑」には前から楽春院に作ってある...
森鴎外 「渋江抽斎」
...武鑑には數年間日輪寺其阿と壽阿曇とが列記せられてゐて...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
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