...昔の日本には文臣と武臣が存在した...
...然れども、平治以降、彼は、平氏を扶けたるの多きを以て、対平氏関係の甚、円満なりしを以て、平氏が比較的彼を優遇したるを以て、平氏を外にしては、武臣として、未其比を見ざる、三位の高位を得たり...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...皇室と衆民のあいだの一武臣たる位置にあることを常にわすれてはいないようだ...
吉川英治 「黒田如水」
...御車をかこむ武臣も宮人たちも...
吉川英治 「三国志」
...城内の武臣文官は...
吉川英治 「三国志」
...われわれ武臣は、将軍から百杖の罰や苛酷な束縛は頂戴したおぼえはあるが、将軍の愛する婦女子ほどの恩遇もうけたためしはありません」と云い返した...
吉川英治 「三国志」
...王道をまもる武臣の長者とはいえぬ者です...
吉川英治 「三国志」
...そして武臣の列に向い...
吉川英治 「三国志」
...およそ天子が武臣へ...
吉川英治 「私本太平記」
...簾下(れんか)にひれ伏している一武臣を...
吉川英治 「私本太平記」
...周囲は武臣の姿で埋まっていた...
吉川英治 「私本太平記」
...他の一武臣などに委(ゆだ)ねてはおけない気概だったものだろう...
吉川英治 「私本太平記」
...何しても一武臣へ...
吉川英治 「私本太平記」
...結城などの武臣も...
吉川英治 「私本太平記」
...北朝の公卿、武臣、参列の大衆は、時々、彼の声を疑うように眼をうごかした...
吉川英治 「私本太平記」
...とはいえ、一山の大衆もまた、われわれ武臣も、いずれか皇土の臣でないものはない...
吉川英治 「新書太閤記」
...武臣のうちでも、重要な数名の将のほかは、院宣のとおりに思って、叡山を攻めるのだとばかり思っていたらしい...
吉川英治 「親鸞」
...そこで、この上はと、畏れ多くも建礼門院が手に、まだお幼(いとけな)い主上を抱きまいらせて、ご同輿(どうよ)の出御を仰ぎ、内大臣宗盛父子(おやこ)や平大納言時忠など、重なる人々は衣冠、そのほか、武臣はもとより、公卿殿上人から端仕(はしたづか)えの人々まで、すべて、弓矢甲冑(かっちゅう)を帯し、きょう卯(う)の刻(こく)、七条朱雀(すざく)を西へお供申して行ったのであった...
吉川英治 「源頼朝」
...由緒のある足利家(あしかがけ)の武臣の末であるし...
吉川英治 「宮本武蔵」
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