...『偃武修文』という言葉は、古代中国の周の武王が戦争を好まなかったため、文化を興し、武を廃したことを表す...
...「均田法」を設けたのは、古代中国の武王が二分法に基づいて農民の土地を整備するために行った制度である...
...周の武王は時の強者なり...
芥川龍之介 「大久保湖州」
...史記殷本紀に周武王爲天子...
内藤湖南 「易疑」
...始皇帝の十三世の後に孝武王といふ人がありまして...
内藤湖南 「近畿地方に於ける神社」
...臣が君を弑(しい)するは仁でないといって武王を諫(いさ)めたが用いられなかった...
新渡戸稲造 「真の愛国心」
...主人の言われるところによると――シナの文王武王のように...
蜷川新 「天皇」
...『詩経』に武王鉞(マサカリ)を執ればその軍に抗する者なかったとある...
南方熊楠 「十二支考」
...「文王の子武王の弟」と史記の周公伝の一節を口にした...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...武王(ぶわう)、(二六)木主(ぼくしゆ)を載(の)せ、號(がう)して文王(ぶんわう)と爲(な)し、東(ひがし)のかた(二七)紂(ちう)を伐(う)つ...
箭内亙訳註 「國譯史記列傳」
...武王(ぶわう)已(すで)に殷(いん)の亂(らん)を平(たひら)げ...
箭内亙訳註 「國譯史記列傳」
...武王の近習の者...
箭内亙訳註 「國譯史記列傳」
...周に至るに及びて、西伯昌は既に卒し、其子武王、西伯の木主を車に載せ、號して文王と爲し、東して殷紂を伐たんとす...
箭内亙訳註 「國譯史記列傳」
...武王の左右の近臣...
箭内亙訳註 「國譯史記列傳」
...武王が臣を以て君を弑するは亦暴虐なるに非ずや...
箭内亙訳註 「國譯史記列傳」
...武王已平二殷亂一...
箭内亙訳註 「國譯史記列傳」
...武王の紂(ちゅう)を討ち...
吉川英治 「三国志」
...賊といわば、舜も賊、禹も賊、武王、秦王、高祖ことごとく賊ではないか」「お黙りなさい!」孔明は、叱っていう...
吉川英治 「三国志」
...ついに武王立って...
吉川英治 「三国志」
...先君武王のご遺言もあること...
吉川英治 「三国志」
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