...江戸時代において、甲斐源氏の一族、武田氏の一族、そして平姓の武士たちが先祖を慕い、武州小手指村(現在の埼玉県新座市)から、岩松城(現在のさいたま市北区岩槻)に至る山間部を移住したという「民族大移動」があった...
...第一〇四項 鳥が魚に化したる話武州八王子の人にて田中某と名づくるもの...
井上円了 「おばけの正体」
...武州(ぶしゅう)は府中(ふちゅう)...
江見水蔭 「怪異暗闇祭」
...武州金沢(かなざわ)...
高浜虚子 「五百五十句」
...武州公秘話序伝曰...
谷崎潤一郎 「武州公秘話」
...此の物語が進行するに従って追い/\読者も合点せられる筈だけれども、武州公の特色は、彼が奇異なる性慾に駆られていかに興奮しているように見える場合でも、常にその意識の底に自己を守る本能を働かせていたのみならず、時には己れの弱点をさえ敵を亡ぼす手段に利用したことにあって、又好運が始終彼をそう云う風に導いて行った...
谷崎潤一郎 「武州公秘話」
...武州公一人だけは火にも負けない意志と熱血の所有者である...
谷崎潤一郎 「武州公秘話」
...(初出 単行本『武州公秘話』中央公論社刊 昭和十年)...
谷崎潤一郎 「武州公秘話」
...大菩薩峠をずんずんと武州路の方へ下りて行きます...
中里介山 「大菩薩峠」
...米友ならば食ってかかるのだろうが、与八は、おとなしくそれを聞き流していると、件(くだん)のさむらいはいっこう無遠慮に、「どうだ、この道場へはお化けが出るという話だが本当か」「そんな噂(うわさ)がありますか」「あるとも、武州、沢井の机の道場には夜な夜なお化けが出る、それで誰も道場を預かり手がない――という噂を聞いて、わざわざたずねて来たのだ」「へえ、この近所に住んでいるものは、そんなことあ言やしません」「ともかく、今晩はここへ泊めてもらいたいものだ」件(くだん)のさむらいは、道場の板の間の真中へすわりこんでしまいました...
中里介山 「大菩薩峠」
...おれも武州青梅の裏宿七兵衛だ...
中里介山 「大菩薩峠」
...武州日野在から出て...
中里介山 「大菩薩峠」
...同年五月三日の條に御方兵由利中八郎維久、於若宮大路射三浦之輩、其箭註姓名、古郡左衞門尉保忠郎從兩三輩中此箭、保忠大瞋兮、取件箭返之處、立匠作之鎧草摺之間、維久令與義盛、奉射御方大將軍之由、披露云々同五月五日の條に去三日由利中八郎維久、奉射匠作事、造意之企也、已同義盛、可彼糺明之由、有其沙汰、被召件箭於御所之處、矢注分明也、更難遁其咎之旨、有御氣色、而維久陳申云、候御方防凶徒事、武州令見知給、被尋決之後、可有罪科左右歟云々、仍召武州、武州被申云、維久於若宮大路、對保忠發箭及度々、斯時凶徒等頗引返、推量之所覃、阿黨射返彼箭歟云々、然而猶以不宥之云々五月三日の條と同五日の條とは若吾妻鏡が一人の手に成りたる日記なりとせば、明に其間に矛盾の存することを見るべく、此矛盾を解釋せんには三日の條の記事を以て追記なりとせざるを得ず、然らざれば三日に於て既に明白なる事實が、五日に於て疑義となること怪むべきことなり、且三日の記事は既に其中に於て矛盾を含めり、慥に御方に候せる維久が、故に矢を義盛に送りて泰時を射さしめたりといふが如きは、事實上あり得べからざることにして、此矛盾は益三日の記事の麁忽に追記せられたることを證する者なり...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...武州小金井に繩張りを持つ...
久生十蘭 「魔都」
...一見していかにも寥々たる武州大塚村の形相がうかゞはれ...
正岡容 「巣鴨菊」
...一方故郷の武州赤塚村へ立ち戻った正介は...
正岡容 「我が圓朝研究」
...東京近くの武州保谷(ほうや)村でも...
柳田國男 「野草雑記・野鳥雑記」
...居士(こじ)の命(めい)をうけて武州(ぶしゅう)高尾(たかお)にいる忍剣のところへいくこと...
吉川英治 「神州天馬侠」
...武州(ぶしゅう)御岳(みたけ)へ参加(さんか)することになった...
吉川英治 「神州天馬侠」
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