...彼女は武后として中国の歴史に名を残している...
...武后の時代には多くの文化的進展があった...
...武后の治世は中国の政治史上極めて重要である...
...武后は唐の時代に重要な役割を果たした女性である...
...武后は成功する女性でありながら、多くの批判を受けた人物でもある...
...武后は人天を顧みず...
芥川龍之介 「侏儒の言葉」
...武后(ぶこう)は人天を顧みず...
芥川龍之介 「侏儒の言葉」
...景風十道に遍く、國富み民休し、家に景福を仰ぎしが、武后垂拱、聖暦年間に到りて、釋子の排擠に會ひ、先天年間に於ては士人の誹謗を受け、一時停滯せしも、玄宗即位の後に於ては、五帝の寫眞を寺内に安置し、親ら景寺に臨みて壇場を建立す...
イー、エー、ゴルドン 高楠順次郎訳 「弘法大師と景教との關係」
...この史通は大體武后の時の作で...
内藤湖南 「支那目録學」
...しかし、女の方にそんな実例がありますか」「ありますとも、唐の則天武后(そくてんぶこう)をごらんなさい」「うむ、則天武后ですか」「歴史家という人たちは、その人たちの支配されている時代の尺度で歴史を書くものですから、自然、人間の規模を見損なってしまうことが多いのです、則天武后を、淫乱の、暴虐の、無茶の、強悪の権化(ごんげ)のようにのみ、歴史の書物には写し出されていますけれども、そう暴虐の、淫乱の、無茶な人に、いつまでも人心が服しているはずはありません、たとい一時の権勢はありましても、長く人気を保てるはずはないのに、あの人は大唐国の王座をふまえて少しもゆるがさず、好きなという好きな男は無条件に自分の性慾の犠牲として、或いは弄(もてあそ)び、或いは殺していながら、それで八十歳の天寿をまで保ち得たということは、非常な力を持った人でなければならないはずです、ああなると力というよりも、一種の徳と見なければなりません」「ははあ――力は、すべての道徳の上の道徳だな」と竜之助がうそぶきました...
中里介山 「大菩薩峠」
...お前さんはどうしても則天武后以上の女傑のようだが...
中里介山 「大菩薩峠」
...張昌宗姿貌を以て武后に幸せられた時...
南方熊楠 「十二支考」
...韋善俊は唐の武后の時京兆(けいちょう)の人なり...
南方熊楠 「十二支考」
...奉仏兼大婬で高名な則天武后親(みずか)ら上東門外に迎えたほどの傑僧で...
南方熊楠 「十二支考」
...則天武后(そくてんぶこう)の臣下に張某という非常に美わしい男がありました...
柳田國男 「名字の話」
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